2011年7月27日水曜日

Fw: 「原子力村、文学村、メディア村、職場村…の爆発こそを!」

>文芸評論家の斎藤美奈子氏が本年4月27日付の朝日新聞の文芸時評で、1986年1月〜87年1月まで連載された小林信彦「極東セレナーデ」の《アイドルタレントへの階段を駆け上る》主人公の女の子が、《原発の安全性を宣伝するポスターの仕事》に直面して、《広告会社の圧力に悩》みながら《PRへの協力を拒》む、というストーリーに触れて、《86年はチェルノブイリ原発事故の年。
>現実がフィクションに影響を与えた例といえるが、はたして90年代以降でもこの小説の新聞連載は可能だっただろうか。福島第一原発の事故が起こる前、新聞もテレビも、この国の多くのメディアは原発を推進する側だった。
>しかも東京電力はマスメディアにとって無視できない強大なスポンサーだった。》と、こう書く自分の文章も、はたしてどうなのか、を示唆するように書いています。
>今回の原発事故は、《文化の面でも大きな課題と反省》を突きつけ、メディアも多くの表現者も、この主人公の《勇気をつまり持てなかった》と言って、伊坂幸太郎「PK」の主人公たち、《ワールドカップアジア最終戦で、もしPKのチャンスが訪れたらシュートを外してほしいと依頼されたサッカー選手。幹事長に虚偽の証言をしろと命じられた政治家。
>そして見ず知らずの人物に小説の改稿を迫られた作家》に移る。
>《彼らは受け容れがたいと断るが、相手は冷徹にいいはなつ。受け容れがたいくても受け容れてもらう。でないと「大変なこと」が起きる、と。》
>作家は「大変なこと」について、〈自分だけではなく、ありとあらゆる人間が、ある日突然に、主義や信念を試されるのではないか。
>誘惑、もしくは、脅しにより、試される瞬間があるのではないか。
>(略)/試され、主義を曲げる。/誰かが諦め、妥協し、挫けるたびに、澱のようなものが溜まってくじおりたいく〉と、《おびえながら考える》。
>斎藤氏は作者の意図を超えて、《だが、誘惑や脅しに屈しただれかの諦めと妥協と挫折の結果がたとえば戦争であり、原発事故ではなかったのか。》と捉え返し、「文学者の戦争責任」が問われてきたように、《安全神話に加担した責任。スルーした責任。》において、
>《「文学者の原発責任」だって発生しよう》と問う。
>川村湊「福島原発人災記」の、《自らを〈米英ソ中仏の核実験による放射能雨〉世代と規定する文芸評論家による、2011年3月11日から25日までの記録》の「非文学性」。
>〈私は今まで「原発」ということを、ほとんど考えてみなかった〉と告白し、《〈こんな震災をもたらした者たち〉への「怒り」にふるえ〈一介の物書きとしての私にできることは、この原発震災(略)の現状を?書く?ことしかないのではないか〉と考える》著者の《スピードと非文学性を私は支持する》と言いきる。
>文芸誌での作家たちの《多くはモゴモゴとした「文学的」な内省を語るのみ。文学の人は文学だけを追求してりゃいいんだよ、という態度は「文学村」の内部の言語である点において「原子力村」と同質ではないか?》
>「PK」に登場する、「臆病は伝染する。そして、勇気も伝染する」という少年漫画ふうのせりふはだが、《「つながろう日本」よりはずっといい。
>作中の作家は改稿を拒否し、サッカー選手は主義を曲げずにシュートを決めた。いま必要なのは「勇気の伝染」なのではないか。文学村から放たれるシュートを待ちたい。》そう締めくくる彼女自身ももちろん、文学村を切り裂くような豪快なシュートを放ってほしいが、「PK」の作者も、川村湊氏の「?書く?」も、紙の上の覚悟にとどまるだけではなく、紙面を超えるメディア村の問題にどこまでも鋭く切り込んでいってほしい、と持続を願って止まない気持です。
>彼女の時評に名前が少し出ている高橋源一郎氏による翌日の同紙の論壇時評のなかに、《「原発推進派」と「反原発派」の、憎悪の応酬にも似たやりとり》という見方が提出されています。
>いつも足並みを揃える内田樹氏も書いている、題名に「街場」をくっつけた震災論(『サンデー毎日』4月24日号)で、《「原発のリスク管理」についてはできるだけ考えたくない推進派と、「安全操業」にはまるで関心のない反対派だけが存在して、その中間がいなくなった。原発はきわめて危険なテクノロジーであるので「今ここにある原発」のリスクを抑制す、るために最大限の技術的工夫をしなければならないという非教条的な、純粋に技術的な議論のための居場所がなくなってしまった。
>クールで計量的な知性による「代替エネルギー開発までのつなぎ方」や「段階的廃炉」といった「大人の」議論が主題的に論じられることがないままに事態がここまで来てしまった。》という見方と同種でしょう。
>まるで喧嘩両成敗的な見方ですが、原発事故前であればともかく、原発事故後ではとても通用しない見解です。
>もちろん、原発事故後だからこそ、気づいたかのように口にしているのでしょうが、この主張が《「大人の」議論》のとば口にでもなるかといえば、とんでもない。
>これが空論であるのは、彼らは自分たちが原発推進派と反対派の「中間」にいるとでも思っているからです。
>「中間」があると思っていること自体、能天気なのです。
>なにか事が起こればしゃしゃり出てきてのたまう彼らも、専門家でもない私たちも、事故が起こる前までは誰もが無意識的な推進派だったはずです。
>電力会社に電気料金を払っていても、びた一文電力会社から袖の下を受け取っていないけれども、私たちは誰もが、便利で快適な電気を「原発安全神話」のイデオロギーにくるまれて享受してきた点で、原発に無関心であった点で、確かに推進派であったことに変わりはありません。
>私たちは原発事故が起こって初めて、「安全」しか唱えない推進派と、懐疑的な反対派が存在していることに気づくことになったのです。というより、それまで推進派しか知らなかったのです。
>知っていても、世の中にはいつでも反対する人はいるものだ、といった程度の感覚だったでしょう。
>自分たちも無意識的な推進派だったから、反対派の人たちが目に入らなかっただけで、事故が起こってようやく彼ら反対派が私たちの目に大きく飛び込んでくるようになったのです。
>この点を押さえておかないと、高橋氏や内田氏のように、自分の立場を棚上げした、別世界から賛成派と反対派の不毛な対
>立を俯瞰しているが如き、架空の態度がさらけ出されてしまいます。
>反対派の人たちがメディアに登場することによって、彼らが表舞台から排除され、閉じこめられてきたことがはっきりとわかり、内田氏の言うような「議論のための居場所」などあるはずもないことが浮き彫りにされました。
>反対派が閉め出されてきたのは、彼らが原発反対の立場であったからです。
>要するに、社会は原発村の住人たちが発する「no problem」の声に覆われてきたのであり、原発事故が起こらなければ、依然として反対派は封じ込められたままだったと考えられます。
>つまり、高橋氏も内田氏も、「純粋に技術的な議論のための居場所」などを口にすることもなかったはずです。
>私は大部分の人々同様、これまで原発に無関心であったが故に、無意識的な原発賛成派であり、原発事故を機に急に反対派になったわけではありません。
>ただ反対派の人たちが、「議論のための居場所」さえ与えられてこなかったことに気づいたのです。
>今回の原発問題はそこに焦点を当てることから問われていかなければ、なにも始まらないでしょう。
>高橋氏も内田氏も、その点を見ずにどちらもどちら的な、非常に不公正な見方に陥っているのです。
>中立を装った巧妙な手口にすら感じられます。
>呆れるのは、「非教条的な、純粋に技術的な議論のための居場所」などがありうると思っていることです。
>知識にしても学問にしても、古代から時の権力者の庇護抜きには存在しえなかったことを、彼らが知らないはずはないでしょう。
>自分が論を立てるときには、都合よく忘れるのです。
>それじゃあ、「街場」ではなく「墓場」の震災論になってしまいます。
>高橋氏は文学村と、内田氏はメディア村とどのように衝突しながら、言葉を押し出しているのか、今回の原発事故は各自にこのことを問うていたはずです。この点をスルーして、自分抜きの問題について語ろうとするから、どんな言葉もたちまち問題の核心に届かず、天ぷらのように浮き上がってしまうのです。
>◎21世紀瓦版
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