2012年9月2日日曜日

Fw: 【関 肇メルマガ第218号】

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>   韓国は友好国か 1
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> 韓国李大統領(と従って韓国政府)の無礼な迷走をその儘にしておいてはいけない。
>我が国は韓国との関係を友好国としているのは見直すべきではないのか。
> 天皇陛下に対する暴言
> 特に天皇陛下に対する暴言は許せない。彼は言った。「(天皇も)韓国を訪問したいならば、
>独立運動をして亡くなられた方々のもとを訪ね、心から謝罪をすればいい。
>何か月も悩んで痛惜の念などと言う言葉一つを見つけて来るぐらいなら来る必要はない。」。
>何を血迷ているのか。
> 韓国は天皇陛下の御訪問を度々希望してきたが、韓国の非礼を心配し政府は応じなかった。
>陛下が希望されたことは無い。政治問題である韓国訪問を口にされることなどあり得ない。
>痛惜の念とは李訪日で天皇陛下が口にされた言葉だが、「何か月も悩んで痛惜の念などと言う
>言葉一つを見つけて来るぐらいなら…」とは何を言っているのか。自分の思い付きで根拠の
>ない発言をするのは厚顔無恥の典型だ。
> 一国の元首に対する誹謗は文明国であればどんな国も遠慮する。元首は国家を象徴するもの
>であり、それは国家に対する誹謗だからだ。本来、国交断絶でもよい行為だ。
>少なくとも謝罪を要求し、それが受け入れられるまでは韓国との関係を制限すべきだ。
>財務相が通貨協力の打ち切りを示唆するなど色々な対抗策が考えられているようだ。
>それでも手ぬるいと思われるが、政府の対策に期待する。
> 李大統領
> 李大統領は日本で生まれで、敗戦後幼児の時に両親と密航船で帰国した。極貧から肉体労働
>で金を貯め大学に入った。大学在学中は、学生運動で朴正熙大統領の日韓基本条約に対する
>反対闘争を行い、懲役3年、執行猶予5年の判決を受けた。
>彼が親日と考えるのは、そもそも間違っているのではないか。
> 卒業後、零細企業の現代建設に入り大企業に育てあげ、若くして会長となり、政界に転じた。
>苦学力行の立志伝中の人だが、教養とは縁の無い人のようだ。
>大統領になるまでは、買収など金銭関係の問題はあったものの順風漫歩だった。
>しかし大統領になってからは経済政策、南北問題等の行き詰まり、更に実兄など大統領周辺の
>人々が経済問題で逮捕者が相次ぐなど人気は低迷の一路となった。そこで人気恢復の
>パフォーマンスとして反日迷走を始めたと言われている。落ち目になると人は足掻くが、
>どんな堕ち方をするかはその人の品格によるだろう。
> 「冷静に対応」の間違い
> 鳩山、管総理では、また過去の自民党政権ではどうなったか分からないが、野田総理と
>内閣の対応は今のところまあ良いだろう。「冷静に」とか、「大人の態度で」というのは、
>国家間ではあり得ない。独立した国家間は尊厳と国益の関係だ。某元外務省高官は
>「感情的にならずに」という発言をした。韓国が感情的でその韓国に対しては何の影響力も
>持てないのに、自分の国に対しては冷静を求める。
> 何をされても我慢するというのは、今問題となっている虐められっ子を思い出させる。
>体力的には勝るのに虐められるに任せる子がいるという。日本は戦後我慢して耐えることが
>習い性となっている。それは正に植民地の心でしかない。
> 李大統領と韓国は他の国に対しても同じような言動をするだろうか。しないとすれば
>日本は馬鹿にされているのだ。それを日本人がその儘にしているのは、戦前植民地としていた
>ことに贖罪意識があるからだ。それは占領軍に洗脳されて持つようになったものだ。
>敗戦の結果、多くの国に賠償金も支払わされた。負けるとはそういうことだ。
> 日本はポツダム宣言を受諾して敗戦となったが、ポツダム宣言さえ守られなかった。
>特に軍が全面的に敗北してからでは、勝者はしたい放題だ。全面的敗北の前に出来れば
>条件付き降服をすべきだっただろう。
> 過去に植民地を多く持っていた欧米の国々で、植民地支配が悪かったと思っている国はある
>だろうか。例えば最大の植民地を持っていた英国にとって植民地支配は栄光の歴史だ。
>日本人は歴史上初めての敗戦・占領で埋め込まれたギルティ・コンプレックに心が支配されて
>いる。韓国等はそれに付け込んでいるのだ。
> 我々は今日の価値観を持ち、今日の行動は今日の善悪で考える。しかし歴史上の事実を
>今日の価値観で正邪の判断をするのは間違っている。更に今日の善悪はインターナショナルな
>ものも考えられるが、同時に国家の数だけあるとも言うべきだろう。
> 朝鮮半島併合は彼らに原因がある
> 何故朝鮮半島は日本に併合されたのか。それは彼等自身に大きな責任がある。韓国人の反日
>は日本の植民地だったことに始まるが、そもそも朝鮮半島は歴代の支那王朝の属国であること
>が多かった。今更日本の植民地支配だけを恨むというのも笑止だ。
> 歴史を顧みると、明治維新後、日本は独立を守るために西欧的近代化に進んだ。
>日本は列強からの侵略を防ぐため朝鮮半島の李王朝が安定した独立国家となることを求めた。
>現在は兵器の発達で状況は違うと思うが、帝国主義時時代の当時は、朝鮮半島は日本の脇腹に
>突き付けられた短刀となり得ると考えられた。半島の独立と安定には近代化しかなかった。
>しかし李王朝は頑なにそれを拒んだ。
> 日本の薩摩藩・長州藩は攘夷で幕府の開国に反対だった。しかし英国との戦争に敗北した後
>態度を改め、西欧流の近代化によって日本が西欧の植民地となることを防ごうとした。これを
>大維新と呼ぶ人もいる。
> 朝鮮は大維新に進もうとしなかった。民衆にとって政治は無縁のものだったが、近代化即ち
>悪という風潮が民衆の間にも根付いていた。政治を担う両班にも近代化を求める人々とそれに
>反対の人々があり、王朝内部にも対立があった。政治自体が不安定だった。
> 日本はまず韓国が清国の影響下にあることを排除しようとして清国と戦い勝利した。
>当時清国は大国と考えられていた。次にロシアが朝鮮半島を支配下に入れようとし、
>事大主義の朝鮮では強国ロシアの影響が強くなっていった。それはロシアの日本攻撃に繋がる
>と心配された。 
> 日本はロシアと戦うことを決意したが、進撃の為には朝鮮半島を進路とせざるを得ない。
>朝鮮は協力的でなかったが、緒戦に日本が勝利すると表面的には親露から親日に態度を変化
>させた。日韓議定書が締結されたが、それが更に朝鮮の保護国化に進む。
>「朝鮮の不安定な政情が日露戦争を誘発し、その戦争が併合を促進したという因果な歴史的
>運命にこの国は飲み込まれていった。」と言う人もある。
> 日露戦争後、不安定な朝鮮を日本が併合することは、米国、英国共に東洋の安定に必要とし
>てもろ手を挙げて支持した。例えばルーズベルトは、「将来の禍根を絶滅させるには保護化
>あるのみ。それが朝鮮の安寧と東洋平和のための最良の策である」と述べている。
>以上
>◎関はじめの安全保障を視る目
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