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2013年9月1日日曜日

Fw: 日本とエジプト(1)from「ガツンと一発」

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>平成25年('13)8月31日 第1905号
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>日本とエジプト(1)
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>平井修一
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>2012年から2013年の今のエジプトの混乱を見ていると、なぜだか悲しい気持ちになる。国家の建設には気が遠くなるほどの「血と涙と汗と時間」が注がれているが、国家の混乱、破壊、滅亡は一瞬である。「この混乱からうまくソフトランディングできるのだろうか、それとも創造なき破壊で何十年も後退するのだろうか」と、中東の盟主であるこの国が心配なのである。近代国家樹立から60年、還暦のエジプトの来し方を日本との関係で振り返りながら、行く末を考えたい(4回シリーズ)。
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>「成せばなる、成さねばならぬ何事も、ナセルはアラブの大統領」
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>1960年、小学3年生の頃、小生はこんなことを叫びながら校庭で友達とじゃれ合っていたものだ。この台詞は落語家、柳亭痴楽(4代目)の「綴り方狂室」という演目で盛んにラジオ放送されていたのかもしれないが、当時の日本人はナセルが大好きだった。
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>ガマール・アブドゥル=ナセルは1952年、彼らの率いる自由将校団によるクーデターでエジプトを王制から共和制に移行させる原動力になった。1953年にエジプト共和国が建国され、翌年、ナセルが第2代エジプト大統領に就任した。
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>1955年にナセルは第2次世界大戦後に独立したインドのネルー首相、インドネシアのスカルノ大統領、中共の周恩来首相とともに第1回「アジア・アフリカ会議(AA会議)」をリードした。
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>これは初の非白人国家だけによる国際会議で、29カ国が参加、「反帝国主義、反植民主義、民族自決の精神」「米ソのいずれにも属さない第3の立場"第三世界"の確立」を主張した。
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>日本は高崎達之助(経済審議庁長官)を代表として十数名が参加したが、他国はいずれも元首、首相級が出席し、政府レベルの国際会議となった。加瀬俊一(としかず、外務相参与、後に初代国連大使。外交評論家・加瀬英明の父)は特命全権大使・外務大臣代理で出席したが、その時の模様を次のように語っている。
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><1955年4月、インドネシアのバンドンという所で「バンドンA・A会議」が開かれました。A・Aというのはアジア・アフリカです。この中心はインドと中国とエジプトです。インドのネール、中国の周恩来、エジプトのナセルが中心になって、独立したばかりの新興諸国29ヵ国代表が集まりました。
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>その時、日本にも招待状が来たんです。国内ではアメリカに気兼ねして参加に慎重な人が多かったんです。私は「出た方がいい」と言ったんです。敗戦後間もない日本にとっては、国際社会に復帰する絶好のチャンスだった。
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>それで出席することにはなったけれども、外務大臣は都合が悪くて私が行くことになったんです。特命全権大使として「出た方がいい」と言ったのは私だけなんだけれども、内心不安だった。というのは、アジア・アフリカというけれども、アジアは大東亜戦争の戦場でした。日本はいいこともしているけれども、ご承知のように悪いこともしなかったわけじゃない。それでね「行ったら白い目で見られるんじゃないか」と思ってあまり気がすすまなかった。
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>しかしその会議に行くとね、あちらこちらからアフリカの代表、アジアの代表が出て来てね、「よく来たね!」「日本のおかげだよ!」と大歓迎でした。
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>それは「日本が大東亜共同宣言というものを出して、アジア民族の解放を戦争目的とした。その宣言がなかったら、あるいは日本がアジアのために犠牲を払って戦っていなかったら、我々は依然としてイギリスの植民地、オランダの植民地、フランスの植民地のままだった。日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、今日のアジアがある」ということだった。
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>この時は「大東亜共同宣言」を出してよかった、と思いました。我々が今日こうやって独立しました、といって「アジア・アフリカ民族独立を祝う会」というのがA・A会議の本来の目的だった。こんな会議が開けるのも日本のおかげですと、「やぁー、こっちへ来てください」「いやぁ、今度は私のところへ来てください」と言ってね、大変なモテ方だった。「やっぱり来てよかったなぁ」とそう思いました。
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>その翌年、日本は晴れて国連に加盟して、私は初代国連大使になりました。アジア・アフリカグループが終始熱心に日本の加盟を支持した事実を強調したい。A・A諸国から大きな信頼と期待を寄せられて、戦後我が国は今日の繁栄を築いてきたのです>(1994:平成6年7月、京都外国語大学における加瀬俊一氏の講演)
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>その後、ナセルは1958年、エジプトとシリアから成る「アラブ連合共和国」を建国して、その初代大統領に就任した。ナセルは新興国の英雄、輝ける星だった。彼の活躍に戦後復興に励んでいた日本人も大いに勇気づけられたのだ。(つづく)(2013/08/31)
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