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【私の政治の原点と参議院選挙】
参議院選挙で茨城県も候補者が出揃ってきました。前回の総選挙で討ち死にしたかつての県内の同志の何人かは、所属政党を変え、参議院に鞍替えして出馬するようです。また、その所属政党から私の対抗馬として立った候補者は、現在東京都議会議員選挙に向けて戦っているようです。それぞれの政治家は、「日本の政治はこうあるべし」という自らのお考えに基づいてとった行動でありましょう。国民・県民の皆さんのご判断を見守りたいと思います。政治の世界はかくもわかりづらく、不条理なものだと思いながら、今日は自らの政治の原点の一部を少し書き綴ってみたいと思います。
私が進学した水戸一高という高校は、当時はまだバンカラな雰囲気が残っていて、学生運動の時代が終わって世の中のほとんどがノンポリになっている中で、口角泡を飛ばして政治の議論をする同級生たちが何人かいました。現代社会の授業では、左がかった先生と憲法問題から哲学まで、1年間教科書も使わずに議論し、先生に負けないように必死で本を読み漁りました。読書から学ぶ「学問」は好きでも学校の勉強にはほとんど興味を持てず、学級会に代表される欺瞞的な民主主義になじめなかった私は、いつしか「戦後」という空間を懐疑的にみる少々ひねくれた青年となっていました。当時は中曽根内閣の全盛
で、「戦後政治の総決算」というキャッチフレーズが盛んに叫ばれていた時期です。三島由紀夫が『憂国』という小説で「無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国」と言ったこのぬるい「戦後」という空気を何とかしたい、そんなことをボンヤリと考えていたのです。
その後、国内では自民党長期政権下でのリクルート事件が起き、政治改革の大きなうねりがやってまいりました。世界的には共産主義諸国の政権が相次いで倒れ、東西冷戦が崩壊。また、中東で起きた第一次湾岸戦争では、日本は「金しか出さない国」と批判をされました。米ソ対立の狭間で、現実的な外交・安全保障政策の選択を迫られることなく、ひたすら経済的利益を追求し、その配分をやっていればよかった、そんな戦後政治が通用しなくなったのです。東西冷戦の下では、自民党は「日本を共産主義にしない」とさえ言っていればどのような価値を守るのかということを明確にしなくても、「保守」の旗を掲げることが出来ました。中選挙区時代の野党
は「非武装中立」などの非現実的なスローガンを掲げて、組織の団結を守ってさえいれば一定の議席が確保され、その存在を証明することができました。しかし、たとえば現実に世界の平和のために武力を国際協調の下で限定的に使わざるを得ないときに、日本がどのようなルールに基づいて、どの程度武力を使うのか、などいう政治的議論や選択がこのような政治ではできません。これまで講じてきた予算を別の分野に大胆に付け・ 替えるなどということも、「何を守るのか」という価値がない政治には実現できず、ひたすら均等に振り分けるということしかできません。
戦後社会に懐疑心を持ち、政治的関心を持ってからの多くの時間を冷戦後に過ごした私には、自民党は現世利益実現のためのシステムであって、何らかの価値実現を目指す保守政党であると思ったことはありませんでした。同じように、当時の社会党がリベラルだとも全く思えませんでした。保守とかリベラルとかの価値に基づく政党らしい政党が生まれ、その価値に基づく議論が政党間でなされ、平衡を保ちながら現実社会での選択を行う、という機能を政治が果たさなければならない時代に晒されているにもかかわらず、日本の政治はなかなか自ら生まれ変われなかったのです。
そんな中、私が学生時代に接し、時には飲みにも連れて行ってもらった自民党の若手議員の何人かは、政党の在り方を根本的に変え、きちんとした価値を国民に訴えることができる政党同士の政治を実現しようと青臭い議論をしていました。ある時それらの若手議員は自民党を離れ、新党さきがけという政党を作りました。私は、心躍る思いでその政党の誕生を見守り、選挙権を得て最初の投票では、さきがけの候補に一票を投じました。当時、さきがけの党首の武村氏が『小さくてもキラリと光る国・日本』という本を書いたり、小沢一郎氏が有名な『日本改造計画』という本を書いたのは、当時の政治が価値に基づく政界の再編を目指していたことを反映して
いるのでしょう。
しかし、そうした政治改革の流れは細川内閣の崩壊によって一時挫折し、自民党を飛び出した若手議員たちはある者は復党し、ある者は新しい政党に散り散りとなりそれぞれの道を歩み始めます。その後誕生した自社さ内閣という価値もへったくれもないアンシャンレジームの政権の中で霞が関の官僚となった私は、橋本内閣や小泉内閣の政権運営を身近にお支えさせていただく中で、やはり高校生時代から考えてきた日本の政治に対する考えは間違えていない、今こそ日本の政治の総決算をしなければ、この国は何も動かせない国になってしまう、と確信し政治の世界へと飛び出したのです。
よく「君の考えは保守なんだから自民党から出たらよかったじゃないか」と言われますが、私にとって自民党こそが戦後政治そのものですから、自らの信念に照らしてその選択は当時はありませんでした。出来て間もない民主党はよくわからないところもあるけど、その中に政治改革の流れを引き継ぐ良質の政治家がいることはわかっていたので、その人たちとともにやっていくんだ、という思いで民主党という選択をしたのです。
民主党の中で活動をし、与党となって政権をお支えし、その時の政権運営を振り返ったとき、さまざまな政局で同僚議員と議論を積み重ねてみて、正直言って民主党がどのような価値を実現しようとしている政党なのかわからなくなってきてしまいました。同じ価値観を持っている同志たちの多くも、すでに党を離れてしまいました。政党というものは選挙互助会だけであってはならず、同じ価値の実現を目指す同志の集まりでなければならないでしょう。そうした政党に民主党が原点に返って生まれ変わる願いを込めて、先の衆議院選挙では「政界再編」というキャッチフレーズを掲げて戦いましたが、その思いを十分にお伝えすることができませんでした。次
の選挙までの浪人生活の中で、私は少なくとも自らの政治の原点をもう一度再確認し、既存の政党の枠組みにとらわれることなく活動してまいります。
最近、隣の栃木県の簗瀬進前参議院議員と何度も二人でお話をさせていただく機会をいただきました。3年前の参院選で、菅総理の消費税増税発言を端緒とする逆風でまさかの苦杯を舐め、次の参議院選挙に全国比例で立候補を予定しております。水戸一高のライバルの宇都宮高校出身。弁護士から自民党の県議、衆議院議員、そして離党してさきがけへ。その後は民主党結党に加わり、中心的な役割を果たしました。同じような政治風土の北関東出身の簗瀬さんのお話を聞いて、ここで私が書き記したような政治観を実現するため、政治改革の時代の20年間に最前線で自ら中心となって行動してきた方と改めて知り、私は戦後政治の転換が役割であったはずの
民主党を再生する最後の砦だと思い、極めて非力、微力ではありますが、応援させていただくことにいたしました。
私は、今回の参議院選挙は自分の政治の原点を確認するための戦いにしたいと思っております。ぜひ皆さんも、「民主党政権がダメだったから自民党」というだけではなく、もう一度日本の政治がどうあるべきかという本質に立ち返って、参議院選挙を考えてみませんか。
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2013年5月27日10時45分24秒 月曜日
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