>皆さんこんにちは!峰崎直樹です。
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>官邸お庭番日誌ver2第46号
>2012年7月23日
> 参議院で始まった社会保障・税一体改革の特別委員会は、民主党から除籍された「国民の生活が第一」
>という長い党名の中村議員が質問に立った。その時、小沢代表が委員会席の傍聴に現れ、やや小一時間
>仲間の議員と共に質疑に耳を傾けていた。国会の本会議にも時々欠席する小沢氏であるが、特別委員会に
>出席されるという「珍事(?!)」に、マスコミをはじめ多くの関係者が訝しがっていたのが印象的であった。
> □渡邉恒雄読売新聞会長の新著『反ポピュリズム論』を読む□
> 小沢一郎という政治家について、どのように評価したらよいのか戸惑うことが多い。1992年に書かれた
>『日本改造計画』を読むかぎり、アメリカ流の自立自助の精神を強く持っているように思えるし、特に税
>制改革では、消費税10%、所得税10%、法人税10%とフラッと税制にすることを打ち出すなど、どう考えて
>みても所得再分配政策を重視する社会民主主義的な要素には乏しい、とみてきたのだが、最近の「国民の
>生活が第一」という名のもとに、いかにも弱者の味方であるかのような振る舞いには、いかがわしささえ
>漂う。今日は、政策というよりも政局がらみの問題、とりわけ2007年夏から秋にかけての福田内閣の下で
>の「大連立」騒動について、もう一度振り返ってみたい。というのも、最近出た渡邉恒雄読売新聞社会長・
>主筆の書かれた『反ポピュリズム論』(新潮新書2012年7月20日刊)の中で、「大連立騒動」の生々しいいき
>さつが書かれており、この間関与してきた関係者の記録などと照らし合わせてみたとき、何が話し合われ、
>なぜ実現ができなかったのか、が明らかになりつつあるのだ。
> □政界のフィクサー、ナベツネ氏の面目躍如たる働き□
> 渡邉会長が連立を仕掛けられたことは、2007年が初めてではない。総選挙で敗北し新自由クラブとの連
>立が実現をした1983年には、民社党と自民党との連立を画策されているのだが、一足早く新自由クラブとの
>連立が先行したため実現しなかったようだ。ついで、1998年金融危機の下で自由党との連立を実現させて
>いる。当時、参議院選挙で自民党が敗北し、参議院での与野党逆転が実現していた。そのねじれ解消に向
>けて2段階での連立の動きを模索し、まず小沢一郎率いる自由党との連立を目指していた。当時、自民党竹
>下派から飛び出した小沢一郎氏を「悪魔」と評し、蛇蝎のごとく嫌っていた野中官房長官と小沢氏の会談を
>実現し、自民・自由連立に持っていくことが可能になり、それを呼び水として翌年の公明党を連立に参加さ
>せることで自自公政権が出来上がる。というのも、自由党と自民党だけでは参議院での過半数が実現できず、
>公明党を抱き込むために自由党との連立という位置づけをしていたのだ。ただ、渡邉会長の著書には、自由
>党との連立に続いた公明党との関係についての言及がないのはなぜなのか、不思議なのだが、そのことは織
>り込み済みのことなのかどうか、定かではない。
> □ミスターX氏とは、斎藤次郎大蔵事務次官OBと見た□
>この時、渡邉会長と小沢一郎氏との間に登場する人物が「X氏」であり、この人物は2007年の連立の時にも
>登場する。一体、この「X氏」なる人物が誰なのか、未だに明らかにしておられないのだが、推測するに大
>蔵省OBの斎藤次郎氏ではないかと思われる。というのも、渡邉会長はこの著書の中で、「小沢さんが非常に
>信頼を置いている元大物官僚」と書かれていることから推測した。もちろん、確実なものではなく、あくま
>でも小生の推測である。
> それにしても、1998年11月16日に開催された「小沢・野中会談」なるものはどんな内容であったのか、当
>事者だけしかわからないのだが、渡邉会長の著書によると「野中さんの迫力のためか、野中・小沢会談の夜、
>小沢さんは吐き気で苦しみ、某ホテルに医師を呼び点滴をするハメになったのだった」(79ページより) と
>書かれている。
>この間の経過について、他方の当事者である野中広務元官房長官は、文芸春秋社から2003年に出版された
>『老兵は死なず』を回顧録として出されているのだが、この夜のことに言及はない。小沢一郎氏との会談は、
>8月末亀井静香氏のはからいで氏同席のもと実現し、「久しぶりに会った小沢さんは、胃潰瘍でもできたかの
>ようにキリキリして見えた。」とある。そして、ここから話し合いがスタートしたと記載されている。この
>あたりの動向については、相当輻輳していたようだが、大きな論点ではないのでこれ以上詮索しないが、野
>中さんは最近岩波書店からインタビュー形式の回顧録を出されており、そちらの方にも目をやる必要があり
>そうだ。
> □2007年大連立の失敗、福田の「慎重さ」小沢の「過信」□
>さて、いよいよ2007年の大連立騒動の顛末に移ろう。渡邉会長はなぜこの連立が失敗したのか、結論として
>「福田康夫首相の『慎重さ』と、小沢民主党代表の『過信』が、悪い形で重なり合ってしまった」(79ペー
>ジ)とみておられる。渡辺会長が大連立を考えられたのは、2007年の参議院選挙の結果が明らかになり、衆
>参のねじれが現実のものになったときから始まる。軽井沢で静養されているとき、綿貫代議士に話しかけ賛
>意が得られると同時期に、例の「x氏」から、「小沢さんが大連立をやるべきだと言っている」という趣旨の
>電話を受け、「x氏」も「ナベさんと私が連絡役をやって大連立をやろうじゃありませんか」と言ってくれた
>ようで、以降8月下旬ごろから未だ福田康夫氏が総理になる前からいろいろと動いている。
>「渡邉---Xライン」の大連立構想に最初に乗っかったのは福田氏の方で、社会保障と税の一体改革のレール
>を引きたいとして、小沢さんと是非つないでほしい、斡旋してほしいというものだったが、いざ、自民党の
>総裁に選出されるや、小沢氏の方から首班指名を延期し大連立で組閣を行うべきだ、という意見だったよう
>だ。だが、福田氏の方は、まずは総理大臣の指名、組閣、さらには予算委員会の開催を強く求め、ようやく
>大連立の話に入ることになり、10月25日に予備会談が森喜朗元首相と小沢一郎氏の間で実施され、ほぼ合意
>して10月30日と11月2日の2回にわたって福田総理と小沢民主党代表との会談が実施され、小沢代表は意気揚々
>と民主党本部に帰り大連立構想を披歴したのである。それ以降の経過は周知のように、民主党役員会で否決
>され、小沢代表辞任表明から再度代表就任へと目まぐるしく展開し、その後は自民党政権打倒の道にまっし
>ぐらに突き進み、2009年8月30日の歴史的な政権交代実現へと展開していくのだ。
>この間、自民党内では幹部クラスの方たちに対する事前の説明と一定の納得はできていたのだが、民主党内
>は全くなされておらず、小沢一郎代表一人の独走であった。おそらく、代表である自分が決断すれば、当然
>民主党の指導部はついてくるはずだ、という思い込みがあったのだろう。かつての自民党竹下派の伝統から
>すれば、リーダーが右向けといえば右を、左向けといえば左に向くことは当然のことという受け止めだった
>のだろう。それにしても、だれにも構想を打ち明けていないというのには唖然とさせられる。党内で大連立
>が否定された直後に、なぜ大連立が必要なのか、という点に関して、「民主党はまだ政権担当能力が不十分
>だ」ということを挙げていた。
> □辞任表明の際、小沢代表の一言「民主党は政権担当能力がない」□
>今思うに、もし丁寧な問題提起をして大連立が実現できていれば、今民主党政権が苦労している「消費税の
>引き上げ」はその時に実現できていたわけで、まことに惜しい機会を逸したといわざるを得ない。と同時に、
>衆参の捻じれを克服するためには、政権担当を担ったことのある政党には、この国の統治に責任を持たなけ
>ればならない、という自覚ができあがり、そのうえで一定の妥協をすることの術を学ぶことができるわけで、
>議会制民主主義を充実させ、「熟議の民主主義」実現への最短コースになり得ていたのではないかと思われ
>る。
>いま、政治が直面している混乱状況は、確かに民主党にとっては政権担当とはこれほどつらいものか、とい
>う教訓は得られているのだが、これほど混乱の中でしか得られないというのも時間とエネルギーの無駄と言
>わざるを得ないのではなかろうか。
> □ドイツ社民党の大連立の立役者、ウェーナーの生涯
> 伊藤光彦著『謀略の伝記』(中公新書1983年刊)に学ぶ□
>なぜ大連立にこだわるのか、それは、今の日本が直面している困難な課題は、大連立政権でしか実現できな
>いからであり、さらに、政権を運営していくためには政権担当能力という経験の蓄積が重要であるからだと
>思うからである。実は、今から30年前に出版された一冊の中公新書を読む機会があった。伊藤光彦元毎日新
>聞記者の書いた『謀略の伝記 』である。そこでは、ドイツ社会民主党がどのような経過をたどって政権を
>獲得していったのか、その中で大きな役割を果たしたヘルベルト・ウェーナーという政治家の生涯を画いた
>ものである。
>ドイツ社会民主党は、日本社会党と同様マルクス主義の影響が残っていたのだが、1959年バードゴーデスベ
>ルク綱領でマルクス主義と絶縁し、以降政権政党に脱皮するべく改革を進めていく。現実に政権を担当した
>ことがない中で、キリスト教民主同盟と大連立政権を樹立する中で経験を積み、ブラントやシュミットらの
>名宰相を生み出していった。その立役者としてのウェーナーという人物は、戦前のコミュンテルンの活動家
>として名を馳せ、戦後は社会民主党を切り盛りした人物であり、首相になることなく院内総務として辣腕を
>ふるい、相手のキリスト教民主同盟からも一目置かれるとともに恐れられていたという。
>このような人物こそが今求められていることを何度かこのブログでも指摘したことがある。今、一番必要な
>のは、まさに日本のウェーナーなのだ。民主党では仙谷由人元官房長官が浮かぶのだが、自民党では誰なの
>だろうか。野中広務元官房長官や青木幹雄元官房長官だったのだろうが、今は引退しておられる。引退され
>た議員でも、それなりの役割が果たせるように思えてならない。今後の政界再編成の局面で、だれが本当に
>この国の未来に責任を負う本物の政治家なのか、求められている。
>
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>
>峰崎直樹プロフィール
>1944年10月14日生
>1992年参議院北海道選挙区初当選
>〜2010年 参議院議員3期18年任期満了
>2009年財務副大臣
>現在
>内閣官房参与
>◎峰崎直樹 官邸お庭番日誌
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