住民票ガイド

2013年7月2日火曜日

Fw: 恩師・吉田公彦先生のこと from「ガツンと一発」

>Webで見る(バックナンバー) ⇒ http://melma.com/backnumber_179151/
>--------
>
>■○○■——■○○■——■○○■——■○○                   
>○ 
>○ 平井修一のメルマガ「ガツンと一発」            
>○                   
>■○○■——■○○■——■○○■——■○○
>平成25年('13)7月2日 第1848号
>・・・・・・・・・・・・・・・
>
>記事や感想を下記アドレスへお寄せください。
>ishiifam@minos.ocn.ne.jp
>本名は明らかにし、匿名希望の場合はハンドルネームを付けてください。
>
>閲読について:
>http://www.melma.com/backnumber_179151/
>
>ブログ「普通の国にしたいだけなのだ」
>http://totopapa.iza.ne.jp/blog/
>■○○■——■○○■——■○○■——■○○■——■○○■——■○○■
>
>============
>恩師・吉田公彦先生のこと
>============
>平井修一
>
>多分戦後から1960年代くらいの話だろうが、熊本県水俣市では「谷川家の四秀才」として有名であったらしい。次の4人である。
>
>■長男:谷川健一(けんいち、1921年7月28日 - )は民俗学者、作家、歌人。熊本中学、東京帝国大学文学部卒業。平凡社の編集者として『風土記日本』『日本残酷物語』などを企画編集し、1963年創刊の『太陽』初代編集長を務める。
>
>その後執筆活動に入り、1966年『最後の攘夷党』で直木賞候補になる。1970年代には民俗事象と文献資料に独自の分析を加え、折口信夫を彷彿とさせる小説家的想像力と、柳田國男の影響を受けた民俗資料の編纂を手法とし、その業績は各界から注目された。
>
>■次男:谷川雁(がん、本名:巌、いわお、1923年12月16日 - 1995年2月2日)は詩人、評論家、教育運動家。旧制熊本中学、第五高等学校を経て、1945年、東京大学文学部社会学科卒。戦後、西日本新聞社に勤務。1947年、日本共産党に入党。社会主義的なリアリズムを基調とにした詩人として知られ、評論集「原点が存在する」「工作者宣言」は1960年代の新左翼陣営に思想的な影響を与えた。
>
>1960年、安保闘争を機に共産党を離党し、吉本隆明らと「六月行動委員会」を組織して全学連主流派の行動を支援する一方、地元の大正炭鉱争議では「大正行動隊」を組織して活動した。「多数決を否定する」「連帯を求めて孤立を恐れず」という、個人の自立性、主体性を重視し既成組織による統制を乗り越えようとした組織・行動原理は、その後の全共闘運動にも大きな影響を与えた。
>
>■三男:谷川道雄(みちお、1925年12月2日 - 2013年6月7日)は東洋史学者、京都大学名誉教授。京都大学文学部史学科卒。1973年「隋唐帝国形成史論」で京大文学博士。名古屋大学教授、1978年京大文学部教授、1989年定年退官。
>
>■四男:吉田公彦(旧名谷川公彦)は日本エディタースクール、日本出版学会の創設者。エディタースクールは東京都にある編集者・ライター・校正者等を養成する専門学校。1964年(昭和39)開校。出版関係の専修学校としては日本有数の歴史を誇る・・・
>
>小生は道雄は知らなかったが、健一と雁は本で知り、末弟の公彦は小生の人生を変えてくれた恩師として今でも尊敬している。1974年春、とび職で蓄えた金で小生は日本エディタースクールに入学したのだ。入学式の際の吉田公彦校長の話は印象深かった。
>
>「編集者を目指す諸君の多くは、自分は人とは違うのだとの思いが強く、孤立や孤独をいとわない、むしろそれを良しとしている人が多いようです。ここにいる諸君は皆似たような考え方でしょう。皆同じなのです。自らの垣根をとって同級生と親しく交わりなさい」
>
>この言葉で「青春彷徨」の真っ最中だった23歳の小生はガードを固めていた両腕を解いていった。こちらが明るくなれば周囲も明るくなる。授業も興味深く、友人もガールフレンドもでき、遅ればせながらも多少は"明るい青春"を知ることができた。出版社に就職できたのもこの学校、引いては吉田先生のお陰である。
>
>吉田先生の経歴はよく分からないが、先日調べものをしていたら偶然、先生の名前を見つけた。
>
><日本読書新聞は1937年から1984年まで刊行された書評新聞。1960年安保から1970年安保にかけての1960年代には、興隆した新左翼運動と随行して全盛期を迎え、「新聞の中の新聞」「出版社の中の出版社」と喧伝された。編集部には巌浩、定村忠士、「吉田公彦」、三木卓、稲垣喜代志、水澤周、渡辺京二、山根貞男、井出彰らが在籍。左翼系文化人の多くが盛んに執筆し、「吉本隆明・花田清輝論争」の舞台となるなど、紙面は活性化された。最盛期の部数は十万部近かったという。
>
>1970年代の新左翼運動の急速な衰退により大きな打撃を受ける。また、1980年代の活字離れも打撃となり、最終期には部数は一万部以下に低迷。1984年12月号をもって、無期限休刊が宣言された>
>
>吉田先生の講演によると、日本エディタースクールの前身は「現代ジャーナリズム研究所」。主として出版関係の編集者が中心で、他に新聞記者、大学の先生、評論家などが入っており、主に出版を中心にジャーナリズムを研究していこうということで始めた。大学でのジャーナリズム研究とは別に、民間で、しかも実際の現場の仕事を中心としてという趣旨だった。「当時私もまだ若くて32歳だったので、鈴木均さんや清水英夫さんという先輩編集者を立てて創ったんですよ」。
>
>現代ジャーナリズム研究所の設立起案書に「職能を確立しよう」という項目があり、その活動の中の事業部門としてエディタースクールが設立された。「私個人の動機から言えば、エディタースクールをやりたいという気持ちは研究所をつくる前からあって、そのステップとして研究所を創ったわけです」。
>
>「それともう一つは、岩波書店の藤森善貢さんという、この方は研究所の会員ではなかったんですが、『広辞苑』や『日本古典文学大系』を担当された本づくりの第一人者でした。その藤森さんと知り合いまして、藤森さんが出版学校をやろうということを強力にプッシュしてくださったんです。亡くなられてもう12年余りになりますが、藤森さんは私の大恩人です」・・・
>
>小生も藤森氏執筆の教科書で勉強させていただいたが、氏の薫陶を受けたのが吉田先生、吉田先生の薫陶を受けたのが小生で、小生の創った会社からも何人か若い人が育って現在も活躍している。職能を次代へリレーしていこうという先輩たちの努力が連綿と続いているのは、何か不思議な気がする。生まれ変わっても編集者、物書きとして生きていきたいと思う。(2013/07/01)
>
>・・・・
>メルマガ「ガツンと一発」
>http://www.melma.com/backnumber_179151/
>
>ブログ「普通の国にしたいだけなのだ」
>http://totopapa.iza.ne.jp/blog/
>
>================================
>
>ブログ「普通の国にしたいだけなのだ」
>http://totopapa.iza.ne.jp/blog/
>--------
>メルマガ解除やバックナンバーは↓
> http://melma.com/backnumber_179151/
>


-----------------
sent from W-ZERO3
解除↓
00552428u@merumo.ne.jp

お小遣いサイト その�
ハッピーマイル
http://happymile.net/touroku.php?i=10247853

その�
トリプルポイント
http://triplepoint.jp/index.php?i=10276868


[メルモPR]
メルモでメルマガ発行しよう!
http://merumo.ne.jp/

バックナンバー
http://bn.merumo.ne.jp/list/00552428

配信元:メルモ byGMO
http://merumo.ne.jp/

スマートフォンの方はこちらから登録端末変更をしてください。
http://cgi.merumo.ne.jp/reader/subsc_change.do

0 件のコメント:

コメントを投稿