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2012年9月30日日曜日

Fw: 邪馬台国・卑弥呼はアユチ族の女王様

><18回邪馬台国・卑弥呼はアユチ族の女王様>晋尺使用古墳  9・30 百瀬
>暑かった夏もやっと終わって「つるべ落としの秋の空」に郷愁を感じてしまうこの頃となった。
>そして昨日も古代史関係フォーラムがあって、旧態依然の「渡来人文化が日本文化の始り」という強い固定観念が基調の発表会があって、現実の古代出土品を「夢・ロマン」の材料にしていたら何時までたっても古代史の真実は、先祖が汗水流して作ってきた文化の真実は闇の中と思うと情けなく思う。現実の出土品は夢やロマンではない。その遺物を残した先祖は命を賭けて戦っていたかもしれない。それなのに現代人は夢・ロマンで終わらせてしまうのか。
>「海を渡ってきた金銅冠」海を渡ってきたかどうか未確定の金銅冠を「海を渡ってきた」と確定したフォーラムに長野県や松本市の考古学会や教育委員会が後援者となっている。ちょっと可笑しいではないかと思い、「早く目を覚ましなさいよ!日本考古学会や教育委員会さん方!」と思ってしまった。すみません。余分な事を書いてしまって、さて卑弥呼に戻ります。
>
>・静岡磐田市等の古墳を調べる内「晋尺」を使用している古墳が可なりあることに気付いた。晋尺について辞典で調べたが見当たらない。俄勉強でネットで検索すると
>、中国で晋の字を使った時代は魏晋南北朝時代で後漢末期の隋が国を統一するまでの戦国時代で184〜589年まで。この間浮沈があり司馬氏が建てた西晋は265年から317年〜420年を言う。西晋は魏志倭人伝の後の時代はネットによると「魏は中国三国時代の一つの国で、後漢を滅ぼし曹操が創設した王朝(220年〜265年)で都を洛陽に置いた。明帝(在位226−265年)の時、高句麗を討ち領土を東方に拡張した。邪馬台国が朝貢を派遣した時代である。明帝が没後、昭の子の炎が265年即位し西晋を建国し魏は滅亡した。とある。
>・だが邪馬台国卑弥呼が使節を送って友好を図った時代より以前にも晋の国はどんな文化だったのか、俄学習ではハッキリしないので晋尺は使われていたのか全く分か
>らない。邪馬台国は西晋時代より前の時代に当たる。だが静岡で晋尺を使って築塚した前方後円墳が10基余り出土している。(以下の通り他群馬県に2基)中国で晋尺は
>卑弥呼の時代以前に考案されていたのか無かったのか戦国時代で定かでない。逆に静岡地域で使っていた晋尺を中国に伝えたか、以下の古墳で見るように晋尺を使った
>前方後円墳が日本・特に静岡では多く存在している。晋尺が使われた中国の遺跡や出土品を検討する必要があるが、中国では卑弥呼の時代より後の時代に西晋や東晋国が出現している事から、日本の静岡で前方後円墳に使っていた技術者が、静岡から政情不安から中国に渡って彼の地(中国)で晋国を築く協力し、日本で発明した晋尺を使ったとも考えられる。静岡の古墳が日本の今の編年基準通りだと西晋等で使っていた晋尺が日本に入って静岡で晋尺を使ったのなら、私の推定が可笑しいことになる。
>・今まで晋尺は中国から日本に伝来したと常識的に考えていた。しかし晋の時代は邪馬台国時代より後の時代にちゃんとした文化があったのではないのかと、その以前の晋の文化とはどんな文化だったのか。晋尺=晋国がルーツとは今現在では言えないと気付いた。だから晋尺という尺度の文化も単に、晋国が中国にあったから晋尺も中国の発明の尺度だとは断定できない。これは私の知識不足なのか。詳しい方は教えてください。再検討が必要だ。ともあれ。
>・晋尺を利用した古墳について一応調べた。以下記載。・赤門上古墳(浜北市)・光明山古墳(天竜市)・陣が谷古墳(細江町)・寺谷銚子塚(磐田市)・寺谷銚子塚
>(磐田市)・松林山古墳(磐田市)・三池平古墳(清水市)・瓢箪塚古墳(浜松市)以上静岡の8古墳が晋尺を使った古墳で集中している。このほか群馬県で・下郷天
>神塚古墳(群馬県高崎市)・太田天神山古墳(〃太田市)で2基が晋尺を使って古墳を築造している。古墳の大きさは50mから112mで群馬太田天神山古墳(〃太田市)は210mと飛びぬけて巨大古墳だ。土器で言うと静岡の場合土師器系から須恵器系の須恵質埴輪が2基から出土している。底穿孔土器は静岡でも群馬でも出土している。晋尺を使った前方後円墳という共通点はあるが、静岡の場合、銅鏡の三角縁神獣鏡は3基・内向花文鏡2基で統一的でない。
>・埴輪についてみると三角縁神獣鏡出土古墳で埴輪が6基から出土しているが、10基中6基の出土だから出土率が高い。ということは信州の松本弘法山古墳と戦った平田
>里古墳の埴輪が埴輪のルーツと考えた場合、磐田市三角縁神獣鏡の時代はかなり後の時代だと推定できる。そして信州松本・安曇野で米・旗の穂高見尊文化と金環・
>八面大王が戦っている時代と同じ頃か、または米・穂高見尊文化が滅びて金環・八面大王に安曇野を明け渡した時代、八面大王が馬で安曇野を闊歩した時代に、磐田市三角縁神獣鏡勢力が三角縁神獣鏡という形式の鏡をシンボルにして、美しい前方後円墳の形の古墳を築造していた時代だと推定でき、東海地区では馬は無く信州では馬が戦闘に活躍していたと考えられ、馬のある松本平の文化と馬の無い東海地域の文化が並行して存在している。
>・そして三角縁神獣鏡勢力も筆者が邪馬台国初期と推定した三遠式銅鐸勢力にも馬具はない。しかし埴輪発祥地で三角縁神獣鏡勢力と同時代頃と推定している松本市や安曇野では馬が地域を闊歩している。そして後に静岡三角縁神獣鏡勢力も、邪馬台国初期の初期三遠式銅鐸勢力も馬を持った古墳勢力に静岡地域では包囲されている分布がある。という歴史的ストーリーがあるようで、まさに魏志倭人伝にあるように「邪馬台国に馬なし」の状態が浮き彫りになります。この研究は今後の発表にご期待ください。
>・上記の史実があった場合(私は日本の本当の史実に近いと考えているが)日本の歴史は中国「三国志」の比ではない、非常に面白いものだったと思います。
> 此処で「邪馬台国卑弥呼はアユチ族の女王様」を終わらせようと思っていましたが、書き忘れがありました。時代是って伊がハッキリしない。何かもっと時代をハッキリさせたい。卑弥呼がいい他時代と魏国に使節を派遣した時代は相違ないけれど、日本の邪馬台国の銅鐸時代をもう少しスッキリしたいと思ったので、次回まで続け次回こそまとめをしたいと思います。
>中国などの歴史が付け刃で、間違っている点はぜひご指摘ください。
>
> 朝夕の寒さが身に浸みるころとなりました。今年はキリギリスも鈴虫も暑かった夏のセミも声が小さいようで、私の耳が衰えたのか、いいえ虫達も気温の変動についていけないのではないか、季節を彩る虫達も絶滅危惧種にならなければいいのですが。
> 読者の皆さんも健康にお気をつけください。ではまた。
>
> 私は今年11月頃には「藤原氏のルーツを追って・・」をやっと出版できる予定です。遺跡や出土品で日本の中を闊歩した、多くの武者たちや勢力者たち先祖の生き様が浮かんでくるようです。是非読んでいただき視線を変えて真実の日本史を追及していただき、古代史研究者というよき仲間になっていただけたらと思います。
>◎邪馬台国 卑弥呼は愛知族の女王様 古代史を科学する<百瀬 高子>
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