住民票ガイド

2013年4月30日火曜日

Fw: 頂門の一針2943号  2013・4・29(月)

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>□■■□──────────────────────────□■■□
>  わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 2943号
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>        2013(平成25)年4月29日(月)
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>
>  「日韓文化摩擦を乗り越えて」:伊勢雅臣
>
>  「平戸つつじ」満開に感動:毛馬一三
>
>  以心伝心を知らぬ人々に:前田正晶
>
>  忘れられぬ文世光事件:渡部亮次郎
>
>  ファンドが踊る"アベノミクス祭り":平井修一
>
>                     話 の 福 袋
>                    反     響
>                    身 辺 雑 記
>
>
>□■■□ ──────────────────────────□■■□
>第2941号
> 発行周期 不定期(原則日曜日発行)
>             
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>━━━━━━━━━━━━━━
>「日韓文化摩擦を乗り越えて」
>━━━━━━━━━━━━━━
>
> 伊勢 雅臣
>
>■1.初来日での「肩透かし」■
>
> 日帝時代を頑迷に反省しない日本人−それは許さないと いう反日
>意識を強く持っていた私は、どこへ行っても優しく親切な日本人、どこへ
>行っても整然としてきれいな日本 の街並みに触れて、何か肩透かしをく
>わされた感じがした。
>
>戦後、最も強固な反日教育を受けた「反日世代」といわれた私の世代は、
>日本といえば「悪魔の国」と答えるほどだったから、「日本人がよい人た
>ちであるはずがない」という強い先入観をもっていたのである。[1,p16]
>
>これが「東京経由のアメリカ留学」の計画で来日した27歳
>の韓国人女性・呉善花さんの日本での第一印象であった。
>
>■2.日本の商売人は何て良心的なんだろう!■
>
>昭和58 年7月に留学生ビザで来日した呉善花さんは東京は北区十条の友
>人のアパートに同居し、そこから日本語学校に通い始めた。
>
>ソウルでは間借り生活で台所やトイレも共用だった が、ここではすべ
>て自前で、さらに友達が冷蔵庫、洗濯機、テ レビ、電話まで揃えてい
>たのにびっくりした。
>
>白米のご飯のおいしさにも感動した。韓国で白米を食べられるようになっ
>たのは1988年のソウルオリンピックの頃からである。
>
>それまでは一般の家庭では白米に粟や麦を混ぜて食べていた。学校へ持っ
>て行く弁当でも百パーセント白米のご飯は贅沢 だというので禁止されて
>いた。
>
> そんなある日、近所のお米屋さんでお米を一袋買って炊いて みると、パ
>サパサとしてまるでおいしくない。不思議に思って 店で聞いてみると、
>三分づきのほとんど玄米と同じ健康食用の コメを間違えて買ってしまっ
>たと分かった。
>
>店のご主人は呉さんが誤って買ったお米を普通のお米に取り替えてくれ、
>差額だけを支払って下さい、と言う。何て良心的 なんだろうと呉さんは
>思った。
>
>ソウルでは1万ウォン札を渡したのに、5千ウォンだったと店の人がごま
>かして喧嘩になった ことが何度もある。日本ではそんな事は絶対にない、
>日本人は良心的だ、という噂が留学生たちの間に流れていく。
>
>■3.自然の美しさ、人々の温かさ■
>
>  来日した当初は、親切な人が多い、秩序が安定している、街
> がきれい、豊かな生活物資が満ちあふれているなど、とにかく
> いい所ばかりが目についた。
>
> 特に呉さんの心を打ったのは、海と山が間近に接近した独特 の地形
>が織りなす自然の美しさだった。東京の叔母に誘われて伊豆の東海岸を旅
>行した時には、その風景の美しさにすっかり魅了された。
>
>これほど海と山と人の生活が溶け合った光景は韓 国ではほとんど見ら
>れない。海と山は平野によって遠くに隔てられている−−そんな大陸的な
>風景が韓国のものである。旅先 で出会った地元の人々からは、風景その
>ままの率直な温かさが 伝わってくる。
>
>都会でも山の緑が家々のすぐ近くまで張り出している。それなのに人々は
>さらに自宅の庭に草木を植える。韓国では人々が暮らす村里に緑があると
>動くのに邪魔になるという感覚が昔か らある。
>
>庭に草木を植える家はかなり上流階級に限られていた。 しかし日本では
>普通の人でも普段の生活の中で緑を慈しむのだ という。そんな違いも驚
>きだった。
>
>■4.急に怒り出した八百屋さん■
>
> 日本に来て最初の1年は、良い日本に感激した時期であった。それは韓国
>で教えられていた日本の姿とはまったく違っていた。 しかし、2年経ち、
>3年を経て、日本の内部に入っていくよう になると、呉さんはしだいに
>文化や習慣の違いからくる摩擦に 悩まされるようになっていった。
>
>十条のアパートの近くに小さな八百屋があった。ご主人が親 切にしてく
>れるので、野菜はいつもその店から買っていた。あ る日、キムチを作ろ
>うと、その八百屋に白菜を買いに行った。 呉さんは店先に積まれた白菜
>を、一つ、また一つと触って品定 めをしながら、「おじさん、今日は白
>菜をたくさん買いますか らね、いいのを選んで下さいよ」と言った。
>
> すると、主人は急に怒り出して、「悪いけど、うちのものはあなたには
>売りませんよ」。何が気に障ったのか、わけがわからない呉さんが「なぜ
>そんなに怒るんですか」と聞くと、プイと横を向いて「朝鮮人にはものを
>売りませんよ」。同じような ことが、美容院やお寿司屋さんでもあった。
>ようやくその理由が分かったのは、それから数年後のことだった。
>
>韓国ではものを作る人、売る人を一段下に見る風潮があり、また店の方で
>もいい加減なものを作ったり売ったりする傾向が 強い。そのため買い物
>をする時に、品質について念を押したり、自ら商品に触って確かめるとい
>う事が一般的である。八百屋にいけば「いい野菜をください」というのが、
>ごく普通の挨拶であり、それが店の人への親しみの表現なのであった。
>
>しかし、日本では八百屋は八百屋なりに、うちでは悪い野など売らない、
>という誇りがある。韓国流の「いい白菜をくださいね」という挨拶は、そ
>の誇りを傷つけるのだ。こういう場合は「キムチを作りたいんだけど、ど
>んな白菜がいいかしら」などと、相手を専門家として持ち上げてやること
>が日本流である。
>
>こういう対人関係の有り様は、右側通行か、左側通行か、と いう交通規
>則と同じで、優劣の問題ではなく、一つの文化内の暗黙のルールなのであ
>る。左側通行の社会で右側通行をしたら あちこちで衝突する。呉さんが
>悩んだのは、こういう文化の違 いだった。
>
>■5.消しゴム事件■
>
>日本人の友だちができて、本格的につきあい始めると、ここでもさまざま
>な摩擦が生じてきた。たとえば、韓国ではご飯も スープも食卓に置いた
>まま、スプーンですくって食べるのが食 事作法である。お茶碗を手に持
>って食べるのは、たいへん行儀 の悪いことである。
>
>それが日本の作法だと知っていても、目の前でそうされると、生理的な嫌
>悪感を抑えることができない。日本人はなぜそんな おかしな事をする
>のか、嫌な人たちだ、と思えてしまう。
>
> 大学に入ってから、とても気のあう日本人の友だちができた。
>しかし、その友だちは一緒に勉強していて、呉さんに消しゴム を借りる
>時に「ちょっと消しゴム、貸してくれる?」と聞くの である。返すと
>きもいちいち「ありがとう」と言う。そのたび に呉さんは「この人は私
>のことを本当に友だちだと思っているのだろうか?」と不安な気持ちに襲
>われるのだった。
>
>韓国では親友や家族の間には、距離があってはいけない。 私の物はあな
>たの物、あなたの物は私の物、それでこそ親密な 間柄と言えるのである。
>だから友だちの間で「消しゴムを貸し て」とか、いちいち「ありがとう」
>などと言うのは、とても失 礼なことなのだ。
>
>呉さんのほうは、友だちの消しゴムが横にあれば、まるで自分の物のよう
>に断りもなしに使い、返すときもいちいち「ありがとう」などとは言わな
>い。
>
>ある日、呉さんがいつものようにそうしたら、友だちは耐えかねたのか、
>明らかにムスッとした表情を示した。なぜそんな顔をされるのか、分から
>ないまま、 呉さんはいいようのない暗く沈んだ世界に一人取り残された
>気 分に陥ってしまった。
>
>■6.日本人も韓国人も行き違いに悩んでいる■
>
>呉さんは大学に通いながら、コンサルタント会社でアルバイトをするよう
>になった。そこでは月に1、2回日本のビジネス マン相手に韓国ビジネ
>ス・セミナーを開いており、呉さんは事 務局役をやりながら、セミナー
>を後の席で聞いていることがで きた。
>
> そこでは日韓の摩擦について話題になる事が多かった。ちょうど呉さんと
>反対に、日本人ビジネスマンが韓国に行って、摩 擦に悩むという声がし
>ばしば聞かれた。悩みはお互い様なのだ、 という当たり前のことに気づ
>かされて呉さんは嬉しくなった。 そのうちに会社からの要望で、日本人
>ビジネスマンに韓国語を 教え始めた。
>
> ちょうどその頃、縁があって、韓国人ホステス数人相手の日 本語教室を
>自分のアパートで開いてみた。一般の学校での教え 方とは違って、韓国
>人が理解しにくい日本人の発想の仕方から 教えていくと、同じ年頃の韓
>国人の女性から教わるという事も あって、よく分かる、と好評だった。
>
> 「こんな言葉を使えば、日本人の男性には好感を持たれるのよ。
> 韓国式にこんないい方をすれば、必ず嫌われるわよ」と呉さん
> が教える。彼女たちは早速、店でそれを実行すると、「なるほ
> ど先生の言うとおりだった」となる。その評判がパッと口コミ
> で韓国人ホステスの間で広がった。
>
>昼は韓国人との行き違いに悩む日本人ビジネスマンに教え、夕方は日本人
>との行き違いに悩む韓国人ホステスを教える。日本人と話しても、韓国人
>と話しても、行き違いはだいたい共通する所にあった。
>
>日韓摩擦のポイントは、その共通項の解明にあるのだ、という考えが徐々
>に固まっていった。そして語学教室でそのあたりから教えていくと、日本
>人ビジネスマンも韓国人ホステスも非常によく理解してくれるのである。
>まさに生き た文化人類学研究であった。
>
>異なる文化間の摩擦とは、相手が自分のルールに従ってくれない、という
>所から来る。自分では左側通行が当たり前だと思っているのに、相手が右
>側通行をするので「なぜこの人は平気で交通違反をするのか」と悩んだり、
>怒ったりすることになる。
>
>それは「違反」なのではなく、相手は違った交通ルール体系に 従ってい
>るのだ、と知ることが、摩擦を乗り越える第一歩なのであろう。そうして
>お互いの交通ルールの違いを知ることが、 まさに自分自身を知ることに
>もつながる。
>
>■7.彼女は済州島出身の田舎者で、、、■
>
>平成2年、呉さんは「スカートの風」を出版した。日韓の文化・習慣の行
>き違いについて、韓国人ホステスの例などを通て述べた本である。反響は
>大きく、3ヶ月ほどで10万部を超えるベストセラーとなった。これを機に、
>あちこちから講演や原稿執筆の依頼が殺到するようになった。
>
>ある時、東京の日本語学校の先生たちの集まりで、一時間ほど講演をして
>欲しいという依頼を受けた。その場には主催者側が、東大の博士課程に在
>学中だという韓国人男性を呼んでいた。呉さんの話が終わって、質問の時
>間になると、その韓国人が立ち上がって、つかつかと前に出てマイクを握
>った。
>
>みなさん、私は、いままで何も言わずに黙って聞いてきたけど、彼女がど
>ういう人だか知っているのですか。彼女は韓国の軍隊出身なのですよ。
>
>確かに呉さんは高校を出てから、きびきびした女性軍人に憧 れ、10倍以
>上の狭き門をくぐって、教育期間を含めて4年間軍隊に在籍し、その間大
>学にも行った。
>
>しかし、それと呉さん の講演と何の関係があるのか、日本人聴衆はまっ
>たく分からなかったろう。この男性が言いたかったのは、軍隊に行くよう
>な女はまともではない、ということであった。さらにこう続けた。
>
>彼女は済州島出身の田舎者で、日本に来ても歌舞伎町のホステスたちと仲
>良くしているような人間だ。そんな人間が話すことを、あなた方は韓国の
>代表的な意見であるかのように聞いたり、質問したりして、盛り上がって
>いるというのは、いったいどういうことですか?
>
>■8.「紺屋の白袴」■
>
>その時、後ろに座っていた一人の日本人が「失礼なことをいうな。おまえ
>出て行け!」と怒鳴った。韓国人男性は「そっちこそ失礼ではないか、人
>がせっかく説明してあげているのに怒鳴って」と、怒鳴られた理由がまる
>で分かっていない。
>
>そこで彼は、自分を紹介しますと言って、私は東大の博士課 程にいて、
>有名な○○先生のもとで、これこれの研究をしている、と自慢げにとうと
>うと述べ立て始めた。これが韓国であれば、一にも二にも彼の輝かしい学
>歴が、その主張の正しさを保証し、だれもが彼の意見を尊重する所だ。
>
>しかし日本ではそうはならない。高学歴だからと言って、そ の人の言う
>ことが正しいとは誰も思わないし、そもそも「学者馬鹿」などという言葉
>すらある。会場の日本人たちからは口々に彼への反発の声があがる。しか
>し、彼はなぜ日本人たちが自 分に反発しているのか、まるで分からな
>い。
>
> 異文化摩擦の絵に描いたような事例である。呉さんには、その行き違い
>が手に取るように分かった。そもそも彼の師事する 東大の○○先生は著
>名な人類学者で、呉さんの「スカートの 風」には大変に感動した、立派
>な本だと誉めて、韓国専門の先生方や学生の前で話をさせてもらった事が
>あったのである。
>
>この男性は博士課程で文化人類学を研究しながら、自分自身では日韓の文
>化の違いをまるで理解せずに、韓国流そのままで振る舞って、日本人聴衆
>の反発をかっていたのである。まさに「紺屋の白袴」とはこの事だ。
>
>■9.行き違いを克服した原動力■
>
>平成9年4月に呉さんは新宿の高層ビル街にマンションを購入した。呉さ
>んが日本に渡って16年、物書きを職業とするようになって、すでに12冊も
>の本を出していた。マンション購入は日本への定住の意思表明だった。
>
>呉さんが今までを思い返してみると、日本という異文化社会に飛び込んで、
>様々な迷路に迷い込み、何度も行き違いに悩んできた。そんな呉さんを救
>ってくれたのは、「よき人」との出会いだった。行く先々で本当にいい人
>たちと出会え、その人たちが様々な形で呉さんを助けてくれた。
>
>そしてそういう「よき人」たちとの出会いを作りだしたのは、 呉さん自
>身の「よき人」を求める気持ちの強さ、真剣さではなかったか。日韓の行
>き違いから逃げずに、「よき人」を求めるて悩みながらも行き違いを直視
>し、その原因を考えてきた。その真剣さが、行き違いを克服する原動力だ
>ったのだろう。
>
>現代のグローバ1ル社会では、あらゆる国々や民族との文化摩 擦を乗り越
>えていかねばならない。その「しんどさ」に耐えて いくためには、それ
>だけ「よき人」を求める真剣さを持たねば ならないのだろう。
>
>
>■リンク■
>a. JOG(246) トウガラシの韓国、ワサビの日本
>  日韓共催のワールドカップは、隣人同士の異質さを明らかにした。
>http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h14/jog246.html
>
>b. JOG(265) 「反日」ナショナリズムという病
> 〜 "日韓"関係の正常化に向けて
> 韓国の「反日」ナショナリズムを分析すれば、日韓関係がうまく
> 行かない理由が見えてくる。
>http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h14/jog265.html
>
>■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
>  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
>1. 呉善花、「私はいかにして『日本信徒』となったか」★★★、
> PHP文庫、H15
>
>
>━━━━━━━━━━━━
>「平戸つつじ」満開に感動
>━━━━━━━━━━━━
>
>     毛馬 一三
>
>大型連休が始まった2日目の早朝、愛犬散歩で大阪「大川」支流の「城北
>川堤防」を散策していた時、堤防沿いの花壇に真っ赤な花で彩られた満開
>の大量の「平戸つつじ」を見た。
>
>前日までは不安定な日和が続いていた所為か、ほとんどが満開ではなかっ
>た。この日は早朝からの強い陽射しと暖かい陽気だったので、見ただけで
>も約1000本の「平戸つつじ」が総て「赤」大輪の花を溢れさせ、その素晴
>らしさと規模の大きさに驚かされた。
>「平戸つつじ」は、古くから長崎県平戸市で栽培されてきたことが、名前
>の由来とされている。1712年に出た『和漢三才図会』にはすでに「ヒラド
>ツツジ」の名で紹介されていた。交配が重ねられ数多くの園芸品種がある。
>平戸市の崎方公園には300種からなる原木園がある。『ウィキペディア
>(Wikipedia)』
>
>「平戸つつじ」は、福岡県久留米市の実家の庭に、祖父が大量に植栽して
>いた。実家の庭には多彩な大小の木々があった。葉桜のあとの季節木を受
>け継ぐ植木として、この「平戸つつじ」は大切にされていた。
>
>しかも「手入れ」は花後だけに必要なだけで、あまり手入れは不要な珍し
>い植木だ。こうした手間の掛からない「平戸つつじ」は、造園家に大いに
>歓迎されていた。「赤色」で満ち溢れた庭先の姿を眺めながら、縁側で家
>族による「茶会」を楽しんでいたことを、今も思い出す。
>
>「平戸つつじ」は、常緑低木で、ゴールデンウィークの象徴的な大輪。木
>の先端枝を仔細に眺めると、先端枝には5つほどの真っ赤な花が咲いてお
>り、枝の太さは、わずか5ミリほど、高さも10センチほどだ。
>
>しかもその枝には小さな約20の葉を付けている。その細木枝を幾重も束ね
>合わせる形で、つつじ1本の大輪としている。自然とは素晴らしいとしか
>言いようがない。
>
>大阪湾に繋がる地元「大川」周辺では、造幣局の「桜の通り抜け」などの
>行事が終わると春の季節が一段落するが、これに継ぐ形で「平戸つつじ」
>が初夏の訪れを告げる。「大川」支流の「城北川」堤防で、この移り変わ
>りを大型連休の期間に楽しませてくれる。
>
>序でながら、初夏の陽気が迫ってきた別の様子がこの「城北川」で見られ
>るようになった。「城北川」は川の幅は50メートルほどあるが、水の温度
>が緩んで来た最近になって「釣り人」が増えだした。
>
>「城北川」は、昭和10年から昭和15年にかけて運河としての利用を目的に
>掘削された。そのため現在でも「城北運河」と呼ぶ者も多い。しかし昭和
>の終わり頃になるとこれを運河として利用する船が減ったため、1985年
>(昭和60年)に一級河川となる。『ウィキペディア(Wikipedia)』
>
>この「城北川」も、「平戸つつじ」と並んで、「淡水魚」の「釣り場」と
>しても知られている。
>
>1週間ほど前までは、川底の温度が低く「淡水魚」の動静も鈍かったため、
>「釣り人」も現れなかった。
>
>ところが2〜3日ほど前から、姿を見せるようになり、大型連休の初日の昨
>日、「鯉2匹、鮒2匹、鰡1匹」、いずれも身長40センチを釣りあげた「釣
>り人」の現場に、これまた夕方の愛犬散歩の際に出くわせた。鰡の釣り上
>げる瞬間を始めて目撃したが、この緊張感も季節がもたらせてくれたもの
>だった。
>
>季節の移り変わりに随時接せられるほど、幸せなことはない。
>              2013.04.28 
>
>
>━━━━━━━━━━━━
>以心伝心を知らぬ人々に
>━━━━━━━━━━━━
>
>
>       前田 正晶
>
>私は彼らに我が国の主張とその正当性を認識させるたために、公式の場で
>彼らの面前で言う必要があり、言外の意味を読めという直接的な表現を避
>けた優しい我が国伝統の奥ゆかしき語り口は通らないと思っている。即ち、
>彼らには「以心伝心」の文化はないということだ。
>
>そこで、敢えて長年使ってきた例を挙げて、彼らとの意思疎通の失敗例を
>採り上げてみよう。その一つに直接的表現を避けた、相手に失礼にならな
>いよう配慮した値上げ拒否の公式文書があった。
>
>そこには「値上げされた結果であるそのコスト上昇分を製品単価に転嫁で
>きる市況ではなく、当社の負担となる。値上げされれば御社からの購入分
>を減らして他社に振り替える。こうすることで御社との間に長年に亘って
>築き上げた好関係を傷つけるので、再考願いたい」とあった。
>
>立派に値上げ拒否を通告する文章だった。だが、これを受け取ったアメリ
>カ側は「値上げ受け入れ」と読んだ。理由は簡単で、何処にも「前記の理
>由で値上げを拒否する」との文言がなかったからだ。しかし、日本駐在の
>副社長は「これぞ、ジャパニーズ・ノーで、お断りの意思が表明されてい
>る」と読んだ。
>
>2例目はアメリカ産牛肉がBSE問題発生で、全頭検査をしない限り輸入拒
>否となっていた頃のことだった。アメリカは輸入再開促進のミッションを
>派遣して交渉した。時の農水大臣はその団体に「我が国が如何に国民の健
>康と食の安全を期して全頭検査を要求するかを懇切に親切丁寧に説明した」
>のだった。
>
>そして言った「使節団は十分に我が国の全頭検査の必要性をご納得頂きま
>した」と「これでもうアメリカは輸入再開を迫ってこないだろう」と述べ
>た。
>
>しかしながら、その直後にアメリカはまた輸入再開を厳しく要求してきた。
>もうお分かりと思うが、農水大臣は「全頭検査をしなければ輸入を再開し
>ない」と念を押さなかったのだ。その辺りに我が国には「以心伝心」の思
>考体系があるのに対して、彼らには「聞かなかったことの裏を読む」よう
>な事はしない思考体系があるということ。
>
>思うに大臣は真っ向から「買わない」という表現を使って遠路はるばるやっ
>てきた団体の顔を潰さないように配慮したのだろう。だが、彼らは「輸入
>再開するのかしないのか」の結論を求めてきたので、全頭検査云々は解っ
>たが再開すると聞こえなかった以上、再度押してきたのだと考えられる。
>
>結論は簡単で「欧米人と北東アジアの国々との交渉では、お国のために摩
>擦を怖れることなく、言うべきことを言っておこう」なのである。
>
>
>
>━━━━━━━━━━
>忘れられぬ文世光事件
>━━━━━━━━━━
>
>   渡部 亮次郎
>
>文世光事件が起きた時、私はNHK大阪放送局でぶらぶらしていた。2006
>年の今から数えると39年前のこと。知らない人も多いだろう。
>
>文世光事件(ムン・セグァンじけん)は1974(昭和49)年8月15日に元大韓
>民国大統領・朴正煕の夫人、陸英修さんら2人が大阪から出掛けて行った
>在日韓国人の文世光(ムン・セグァン)に射殺された事件である。
>
>この日の韓国は日本からの解放記念日である光復節の祝賀行事がソウル
>の国立劇場であり、朴大統領夫妻がその行事に出席していた。
>
>事件当日、文は日本政府高官になりすまして国立劇場に入り、朴大統領
>が祝辞を読みあげている途中、壇上に向け何発か拳銃を撃った。が、元
>軍人の朴大統領は反射的に演壇の後ろに隠れ難を逃れた。
>
>目標を失った文は大統領夫人の陸さんに向け4発撃った。 陸さんはその
>後病院に搬送され5時間40分にもおよぶ手術もむなしく、死去した。また
>式典に合唱団の一員として参加していた女子高生1名も銃撃を受け、死亡
>した。
>
>一報が報じられた途端、「あいつ、わいのだちこうや」とNHK出入りフィ
>ルム運搬会社の職員が叫んだ。何やて、そらまたどうしてや。身元の確
>認が警察よりも早かったわけで、NHKの特種となった。
>
>このとき大阪府警の担当記者をしていたのが石岡荘十さんだった。交番
>でのピストル盗難事件のお宮入りで腐っている矢先だった。
>
>もともと、朝鮮半島の赤化統一を目指した文は1973年10月ごろ、朴大統
>領の暗殺計画を思い立った。その後朝鮮総連の支援を受けながら、用意
>を着々と進めて(大阪府内の派出所で拳銃を盗んだり、韓国への偽造ビ
>ザや偽造パスポートを作成した)8月6日、韓国に入国した。
>
>一方の朴大統領は、1963年8月に軍を退役し、大統領選に出馬。前大統領
>の尹フ善を破り、自らが大統領の座に就く。1965年6月22日には、国民の
>反対の声がありながらも日本との国交を回復(日本国と大韓民国との間
>の基本関係に関する条約)。
>
>またベトナム戦争への派兵も決定するが、西ドイツへ労働者を派遣やそ
>の給与を担保に借款を受けたことに始まり、日韓基本条約の締結やベト
>ナム派兵により有償・無償の資金供与を日米等から受ける様になる。
>
>内政においては典型的な開発独裁で、国家主導で産業育成をはかるべく
>財閥、国策企業を通じ、重工業にカネ、モノを重点的に投入した。これ
>によって作られた代表的なものに浦項製鉄所がある。
>
>この結果、世界最貧国圏から国民所得にして10倍の「漢江の奇跡」と呼
>ばれる飛躍的な発展を遂げたものの農業の遅れが目立つようになり、そ
>れを取り戻すべく、農業政策においてはセマウル運動を展開し、農村の
>近代化を果たした。
>
>政治的なスローガンとしては「維新体制」を標榜したが、開発独裁とい
>われる朴正煕の経済開発手法は彼が実際に見聞した満州国における政府
>主導の重工業化からヒントを得ているとする分析がある。
>
>また、数次にわたる5カ年計画方式は、北朝鮮の計画経済をモデルにし
>ているといわれ、必要と思えばイデオロギーに関係なく何でも取り入れ
>る現実主義的柔軟性は注目される。
>
>こうした実績を見れば、共産主義体制による韓国併呑を企図している北朝
>鮮の焦燥感、反朴感情の高まりは当然だったから、事件の陰の北朝鮮の
>存在は疑われた。
>
>それを裏付けるかの如く1968年1月21日には北朝鮮のゲリラ部隊に大統領
>官邸を襲撃される(青瓦台襲撃未遂事件)が、1970年8月15日の演説で平
>和共存を提案し、1972年7月4日には南北共同声明を発表した。
>
>(この襲撃未遂事件で犯人側の唯一の生き残りにKCIAで1973年にインタ
>ビューした話は以前、書いた)。
>
>一方、国内では、10月17日に非常戒厳令を発する(十月維新)など独裁
>色を強め、金大中事件など中央情報部による強権的な反政府運動弾圧を
>も行った。
>
>自分を脅かす者は政敵ばかりか与党の有力者であっても退け、独裁体制
>を維持し続けていたが、1974年8月15日、日本統治から「解放」されたこ
>とを記念する光復節の祝賀行儀に参加していたところ、在日韓国人・文
>世光に銃撃を受けたのだった。
>
>この際に用いられた拳銃が、文世光が日本で警察官を襲撃し日本警察か
>ら強奪したものであったこともあり、日韓両国の政治問題へと発展した。
>
>この一連の事件の為、日韓関係は国交正常化後、最悪に陥った。理由は、
>朝鮮総連が関連している事件であるのは韓国側の捜査で明白だったのに
>対し、日本側は総連の関与はないという姿勢を見せた事、文が所持して
>いた拳銃が大阪の派出所より盗まれた物であった事に因る。
>
>謝罪のない日本側(田中角栄総理)に対し、朴大統領は「日本は本当に
>友邦なのか?」と問いただし、ついには「日本は赤化工作の基地となって
>いる」という言葉まで出た。 その後急速に関係は悪化し、国交断絶寸前
>までいった。
>
>しかし、大統領の側近が「このまま断絶してしまえば、今までの苦労が
>水の泡になってしまう」と説得し、最悪の事態はまぬがれた。 なお、日
>本を「赤化(共産化)工作基地」とみなす認識は、韓国人にとってしば
>しば反日感情を正当化する根拠の一つでありつづけた。今では想像もつ
>かないだろう。
>
>10月7日に初公判が開かれ、文は法廷に立った。文は大筋で犯行を認め、
>1審、2審、終審の全てで死刑が宣告された。宣告から3日後の12月20日、
>ソウル拘置所で処刑された。
>
>朴大統領自身は、釜山・馬山で民主化暴動が起こっていた1979年10月26
>日、側近の金載圭KCIA部長によって射殺された(10・26事件)。遺体は
>国葬となり、現在、国立墓地、顕忠院に葬られている。葬儀には岸信介
>元総理が政府代表として参列した。このとき私はNHKを退職し、外務
>大臣秘書官だった。
>
>
>
>━━━━━━━━━━━━━━━━━
>ファンドが踊る"アベノミクス祭り"
>━━━━━━━━━━━━━━━━━
>
>           平井 修一
>
>隠居したのだから経済の動きについてそれほど敏感ではないものの、一部
>の事業は細々ながら続いているため、現在・将来の経済というか景気のお
>およそのところは知っておきたいと思っている。株式投資や投資信託など
>で資産を運用している人は日々の動きが気になるだろうが、小生の場合は
>そこまでの関心はない。
>
>ただ、比較的安定しているとはいえ景気が悪くなれば収入は減るし、また、
>公務員の長男はともかくも長女、次女の亭主は民間企業に勤めているから
>景気の影響を受けやすく、親としてはやはり心配だ。で、景気はどうなの
>か。
>
>みずほ証券リサーチ&コンサルティングによると、2013年2月のOECD景気
>先行指数(CLI)は100.5と前月比で6ヵ月連続のプラスとなった。
>
>景気先行指数(CLI)とは「GDP関連の幾つかの主要短期経済指標に含まれ
>ている情報をまとめ作成している景気先行指数で、景気の拡大と鈍化の転
>換点(景気のピークと底)の早期シグナルを示すもの」だ。
>
>主要短期経済指標は毎月の鉱工業生産、失業率、消費者物価上昇率、長期
>金利、政策金利、各国の外貨準備高(除く金)、為替相場、株価などの動
>向で、おおよその景気が分かる仕組みになっている。
>
>主要国の内訳をみると、米国(101.2)が同7ヵ月連続のプラス、ユーロ圏
>(99.9)は同5ヵ月連続のプラス、日本(100.9)は同5ヵ月連続のプラス
>など主要国がいずれも改善傾向となっている。OECDは「CLIは米国や日本
>の景気が底堅く推移することや、ユーロ圏は景気の持ち直しを示唆してい
>る」と述べている。
>
>日本については「大胆な金融緩和期待や円安進行を受けて、株高やマイン
>ドの改善が牽引している。短期的には各国の円安けん制発言や地政学リス
>ク、米景気動向などでスピード調整場面があるかもしれない」としている
>が、まあ、しばらくは実物(実体)経済はともかくも"アベノミクス祭り"
>は続くのだろう。
>
>ところで経済活動は実物経済(実体経済)とマネー経済(金融経済)から
>なる。実物経済とは、普段の日常生活で「物を買ったり、サービスを受け
>たりするときに行う金のやりとり」のことだ。
>
>一方でマネー経済とは、生活のために金を使うのではなく、「金をふやす
>ことを目的に、金を商品とみなして売り買いするときの金のやりとり」の
>ことを言う。例えば、株式などの金融商品や不動産などに投資する行為は
>マネー経済に属す。
>
>実物経済は商品を製造して市場に商品を提供し、マネー経済は市場に資金
>を提供することによって資本主義経済は成り立っている。マネー経済は実
>物経済の血脈の役割を担っており、実物経済はマネー経済なくしては動か
>ない。マネー経済は本来、実物経済を支える存在であり、実物経済の成長
>に役立つためにあるものだ。
>
>ところがデリバティブ(金融派生商品)市場の発達を背景に、今や先進国
>においてはマネー経済の規模が実物経済の規模をはるかに上回っており、
>マネーの力で経済の実態(=実物経済の姿)が歪められることも見受けら
>れるようになってしまった。
>
>1980年代までは金のやりとりの大部分が実物経済で、実物経済:マネー経
>済=9:1だった。ところが現在ではこれらの関係は逆転し、マネー経済が
>世界の金の流れの9割以上を占めていると言われている。実物経済の何倍
>ものマネーが国境を越えて動き回り、バブル生成と崩壊、世界的金融危機
>や同時不況などを引き起こしている。
>
>文筆家の白藤夏星(かせい)は、「今日の国際経済は、膨張し一人歩きを
>始めたマネー経済が実物経済を翻弄し破壊している時代かも知れない」と
>言う。
>
>マネー経済を代表するものに「ヘッジファンド」がある。2008年のリーマ
>ンショックを受けて、ヘッジファンドに対する規制強化が叫ばれ、米国で
>は取引の細かい届け出義務などを定めた金融規制改革法が昨年から施行さ
>れた。
>
><昨年から"低空飛行"を続けてきたヘッジファンドが「アベノミクス」
>を好感して日本株を積極的に購入してきている。金融規制改革法が施行さ
>れ、これをきっかけにヘッジファンドは行き場を失い
>↓続きを読む↓
>http://www.melma.com/backnumber_108241_5810362/
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