>□■■□──────────────────────────□■■□
> わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針 3026号
>□■■□━━━───────────────────────□■■□
>
>
> 2013(平成25)年8月3日(土)
>
>
>
> 「坊さんと先生だけ」は先入観:岩見隆夫
>
> 歴史を忘れる民族とは:黒田勝弘
>
> 嫌韓感情を募らせる愚:古澤 襄
>
> 30年前の英國の國語問題:上西俊雄
>
> 日本における左翼出版:平井修一
>
> 話 の 福 袋
> 反 響
> 身 辺 雑 記
>
>
>□■■□ ──────────────────────────□■■□
>第3026 号
> 発行周期 不定期(原則日曜日発行)
>
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> 御意見・御感想は:
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>「坊さんと先生だけ」は先入観
>━━━━━━━━━━━━━━
>
>
> 岩見 隆夫
>
>トップの采配について考えてみる。
>
>首相という強力な権力者が指示すれば、大抵のことはできるのだろう。だ
>れもが漠然とそう思っている。一般論として。
>
>だが、実際の首相の采配が必ずしもそうでないことも、歴代を見ていてわ
>かっている。まず指示がマトを射ているか、次に指示倒れにならず、やり
>抜く政治力と執念を持ち合わせているか。そのあたりで値打ちが定まって
>くる。
>
>一例として、大平正芳首相。鈍重のようにみえて、決断型だった。反対を
>覚悟で消費税導入を決意するが(1979年)、挫折すると後事を竹下登蔵相
>に託した。竹下は周到な準備のすえ、自分の政権のもとでついに導入を果
>たす(89年)。
>
>「あれは大平さんの執念が乗り移ったんだよ」
>
>と竹下は晩年の回顧録で語ったが、大平による10年越しの采配だった。
>
> 安倍晋三首相は参院選大勝のあと、
>
>「どっしりと腰を据えて、政策を力強く前に進め……」
>
>と決意を語った。マトを射た指示を繰り出してくるか、自民党に1票を投
>じた人も、安倍の采配に疑心暗鬼である。
>
>新刊の「武村正義の知事力」(関根英爾著・サンライズ出版)という本を
>読んだ。トップの采配で相当のことができることを改めて知る。
>
>武村が革新陣営に推され、全国最年少の滋賀県知事に当選したのは74年11
>月、40歳だった。3期12年務め、衆院議員に転じる。
>
>1期目に県財政の再建と琵琶湖の汚染対策に取り組み、2期目に野心的な
><文化の屋根をかける>政策を打ち出した。文化的施設を充実させる一
>方、一般の県行政のすみずみまで文化的気配りをする。<屋根>の意味で
>ある。
>
>柱に据えたのが図書館行政だ。当時、滋賀県内に図書館は4館しかなく、
>全国最下位を低迷していた。武村は、図書館の仕事は人だ、と考え、部下に、
>
>「県立図書館の館長にふさわしい人を全国から探してほしい」
>
>と指示する。白羽の矢が立ったのが前川恒雄。東京都日野市立図書館長を
>務める、この道の練達の士だ。
>
>しかし、前川は招きに簡単に応じない。武村の指示で、副知事らが次々に
>日野入りし、説き伏せる。強引だ。滋賀にやってきた前川は、
>
>「市町村にどんどん図書館をつくりましょう」
>
>と武村に思い切った補助制度を求め、かなえてもらう。だが、市町村長を
>回って協力を頼むと、どこも、
>
>「本を読むのは坊さんと学校の先生だけ。つくってもだれもこない」
>
>とつれない。しかし、だれも坊さんと先生だけ、を見たわけではない。
>誤った先入観だった。
>
>まもなく空気が変わる。新設の図書館にびっくりするほどの利用者が訪れ
>たのだ。図書館網は全県に広がる。館長は他府県からベテランをスカウ
>ト。入館者数、1人当たりの貸出冊数がぐんぐん増え、まもなく東京を抜
>いて<日本一の図書館県>にのぼりつめた。
>
>前川の証言によると、そのころ武村に、
>
>「知事として読んでおいたらいい本を毎月3冊ほど選んでくれ」
>
>と頼まれ、選択に悩みながら届けた。知事室を訪ねると机の上にちゃんと
>置いてある。
>
>「読んでますか」
>
>「いやあ、全部は読めないけど、表紙をみるだけでも勉強だよ」
>
>中央政界入りしてから、武村が前川に漏らしたという。
>
>「知事時代、いろいろな仕事をしたが、少ない経費で大きな効果を上げた
>のは図書館だ」
>
>武村だからこそできた、と思う。采配はそうあってほしい。
>
>首相と知事では、采配のレベルが当然違うが、トップとしての姿勢は共通
>している。
>
>安倍自民党はいまや衆参両院で410人。全議員の56%を占め、第2党の民
>主党116人の3・5倍の大所帯だ。これだけの数の力があれば、と思うか
>もしれないが、実はそうではない。
>
>ふくらんだ分だけ党内事情は複雑になり、内外のあらゆるテーマをめぐっ
>て、論争、対立が顕在化してくる。もちろん、外側からは、野党の攻勢、
>少数だけに先鋭化してくるとみなければならない。
>
>1強体制は決して安泰ではない。そんななか、安倍の采配が問われる。党
>内融和、政権安泰を優先させれば、調整的、微温的にならざるをえない。
>反対、抵抗を押し切っても壁に風穴をあけようとすれば、傷を負う、しか
>し、采配はさえ、政治が躍動するだろう。
>
>さて、安倍はどうする。(敬称略)
>
>近聞遠見:毎日新聞 2013年08月03日 東京朝刊=第1土曜日掲載
>
>
>
>━━━━━━━━━━
>歴史を忘れる民族とは
>━━━━━━━━━━
>
>
> 黒田 勝弘
>
>先のソウルでの日韓サッカーで韓国の応援団が掲げた「歴史を忘れた民族
>には未来はない」と書かれた横断幕が、政治的宣伝行為ではないかと問題
>になっている。この文句は韓国の独立運動家で歴史家、言論人でもあった
>申采浩(シン・チェホ)(1880〜1936年)の名言といわれる。しかし、出
>典とされる「朝鮮上古史」など彼の著書には実際には出てこない。どうも
>後世に彼の志をくんで作られたようだ。
>
>彼が生きた時代は主に日本統治時代だが、いずれにしろこの文句は本来、
>韓国人自らに向けた戒めと激励のためであって、日本に向けたものではない。
>
>その意味は現時点でいえば、「日本に侵略され支配された歴史を忘れず、
>再びそういう悲劇を招かないようがんばろう」ということになる。ところ
>が今や支配された方(韓国)が支配した方(日本)にしきりに「歴史を忘
>れるな」と言っている。
>
>だから日本非難の政治的文言と疑われるのだが、あの言葉は当然のことで
>日本人もよく分かっている。それをまるで他者(日本)向けの話のように
>居丈高に言いつのることを申采浩はどう思っているだろうか。
>
>とくに「あんたに未来はないよ」といわれると、どこかおせっかいな感じ
>がして「自分の未来は自分で考えますから」と言いたくなるではないか。
>(産経外信コラム)>
>
>
>
>
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>━━━━━━━━━━
>嫌韓感情を募らせる愚
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>
>
> 古澤 襄
>
>スポーツの世界に民族感情が持ち込まれるのは、ある程度は避けられな
>い。しかし度が過ぎるとスポーツはスポーツではなくなる。ましてやメデ
>イアがそれを煽るとなると、行き過ぎた民族感情によって観客の間で流血
>の騒ぎになりかねない。
>
>サッカー東アジア・カップ男子日韓戦での韓国応援団の反日行動をみて、
>多くの日本人は眉をひそめ嫌韓感情をさらに強めている。
>
>いまの騒ぎから1億3000万の日本人が4000万の韓国を「民度が低い」と高
>見から批判するのは無理からぬ面があるが、そこはアジアの大国として大
>人の態度で接する必要がある。
>
> 黒田勝弘氏が韓国メデイアの中で、「スポーツ民族主義はもうやめよ
>う」(ハンギョレ新聞)「スポーツを国粋主義で汚すな」(東亜日報)
>「反日無罪はもうやめよう」(京郷新聞)など自己批判も登場していると
>指摘した。
>
>また"民度論争"では日韓戦の日本側のスタンドで、東日本大震災に対する
>韓国の支援に感謝するメッセージ(韓国語)が掲げられたことに注目し
>「やはり日本の方が民度は上だ」といった声もネットには出ているという。
>
>まだ小さな良識の芽なのかもしれないが、日本人がいきり立って同じレベ
>ルで嫌韓感情を募らせる愚かさだけは避けたい。
>2013.08.03 Saturday name : kajikablog
>
>
>━━━━━━━━━━━
>30年前の英國の國語問題
>━━━━━━━━━━━
>
>
> 上西 俊雄
>
>友人がだんだん缺けていく。古い友人が體調を崩したと聞いたりすると落
>着かない。平井さんではないけれどだんだんと身の囘りを整理しておかな
>ければといふ氣持になる。
>
>反故をすてやうとしたら Listener の切拔がでてきた。切拔といったけれ
>ど、全頁を占めるものも、複數の頁に亙るものもあるから、切拔きでない
>ものがほとんど。縱30センチ横23センチ。タブロイド小版(half
>broadsheet)といふのが縱12.5インチ横9.5インチとあるから恐らくこの
>版なのだと思ふ。
>
>丁度前田さんと英語教育についてメールを交換したところであった。他に
>も御興味の向もあるかと思ふので、斷片的にいくつか紹介したい。角括弧
>はイタリック。二重ギュメで囲んだのは試譯。
>
>3 May 1979のLangham Diary といふエッセーの頁。この頁はゆったり組ん
>である。天地76行。表題や寄稿者の名前が6行2段。中央の段の下段30行
>をあけて漫畫が一こま。殘り186行が文字といふことになる。今回の寄稿
>はPeter Black。Setting Standard といふ題。
>
>The vigorous response to Alvar Lidell's just outburst against BBC
>spoken English did not surprise me. There has long been widespread
>burning indignation against it.
>
>Particularly enraging is that the decision to debase speech and
>language standards and dramatise news presentation was taken
>without any holder of high office in the BBC attempting to explain
>or justify it.
>
>It seems to have floated out of the prevailing fog of silliness
>which hangs over the nation's conduct of its affairs, of which a
>chief symptom is the rejection of traditional styles that appear
>to set unfashionable standards.
>
>Lidell といふ人がBBCの英語にどんな怒りをぶつけたか、またその反響が
>どうであったかは知らない。それ以下を譯す。
>
><BBCの英語に對する怒りはひろく長きに亙ってゐた。特に憤りを覺える
>のは言葉(speech)や國語(language)の水準を下げニュース報道を面白
>くする(dramatise)といふことが責任者による説明も正當化もなくなさ
>れたといふことだ。國務經營を目下覆ってゐるところの愚鈍の霧から漂ひ
>でてきたもののやうで、その主たる兆候は傳統的樣式の排除にある。それ
>では流行遲れが基準となると思ふのだらう。>
>
>以下は 8ポ23倍81行3段だと思ふ。とにかく小さい文字でびっしり。漫畫
>や寫眞はない。
>
>11 JULY 1985 の Clever-clever といふ話。
>
>こんなところがある。
>
>My particular interest is in their vocabulary of praise and blame,
>to use a grammarian's phrase. Even now, the survivors of the Blimp
>class still attach negative implications to words which, for
>example in the United States, would be regarded as expressing
>positive qualities.
>
><筆者は特に賞贊の語彙と非難の語彙に關心がある、頑固な英國人氣質の
>人間は、たとへば米國でなら肯定的質を意味するとみなされ語に今猶否定
>的含みをもたせる。>
>
>褒め言葉をそのままつかふことができるかどうか。英米では異る場合がある。
>
>`Take the word "clever" and its American equivalent "smart". To an
>American, these words, if used in a letter describing a possible
>employee, would amount to a strong recommendation. To Blimp, they
>would not only extinguish the applicant's chances of employment
>but would arouse suspicions about the soundness of his or her
>moral character.
>
><clever といふ語、米語では smart だけれど、アメリカ人にとっては、
>これらの語が、もし、雇用候補者の推薦状にあるなら強い推薦を意味する
>だらうが、頑固な英國人氣質の人間にとっては、これらの語が用ゐてあれ
>ば候補者の採用の可能性が無くなるだけでなく、その人間性を疑はせるこ
>とにならう。>
>
>かういふことは、語學に屬するものなのだらうか。少くとも單語の直接的
>意味の問題ではないと思ふ。前田さんはかういふレベルのことも問題にす
>る。手前は文化のことは切離して考へる方だ。
>
>5 February 1987 の記事、題は Adult illiteracy
>
>Recent research suggests that one out of eight British adults and
>school-leavers can't read, write or do simple arithmetic. But
>educationalists believe the problems have come to light because of
>high unemployment and changing work patterns, rather than a
>decline in teaching standards.
>
>.....
>
>Taking Rochdale as an example, [World in Action] examined the
>impact of high unemployment on those with literacy problems. With
>an unemployment rate of around 17 per cent in the town,
>semi-literate school-leavers like Ronnie Hardiker are at a great
>disadvantage when competing for jobs. Ronnie, although undoubtedly
>capable of collecting trolleys in a supermarket, had little chance
>of getting even an interview because he made so many mistakes on
>his application form. [World in Action']s survey, conducted by the
>market research organisation MORI, showed that 25 per cent of the
>teenagers had problems filling in a simple application form.
>
>
><最近の調査によれば、英國の大人及び高卒で讀み書きができず簡單な計
>算もできないものが八人に一人はゐることになりさうだ。しかし、これは
>教育水準が落ちたためといふより、失業率と勞働樣式の變化の結果問題が
>顯在化したに過ぎないと教育關係者はみてゐる。
>
>(中略)
>
>World in Actionはロッチデール市を例にとって高失業率が識字能力に問
>題のある人々に與える衝撃を調査した。町は失業率17パーセント。ロ
>ニー・ハーディカーのやうに高卒でも識字能力が完全でない場合は仕事に
>就くのが非常に難しい。ロニーはもちろんスーパーのカートを集めること
>はできるのだけれど、應募用紙に書き込むときに誤記が多くて面接にすす
>む見込みが殆どなかった。市場調査機關 MORI 社がWorld in Actionで
>行った調査によれば、十代の若者で簡單な應募用紙の必要事項を書ききる
>ことができなかったのが25パーセントゐる。>
>
>英國の場合に話すことは問題でなく應募書式にきちんと書くことができる
>かどうかが問題なのだ。この點だけでも今の英語教育の方向は問題になる
>のではあるまいか。
>
>9 JULY 1981 に David Crystal が放送用語を問題した。その反應が凄ま
>じい。有名無名をとはずいろいろな人が議論に參加する。匿名といふので
>はないけれど、どこどこの教授だとか博士だとか文化廳の國語調査官など
>とは名乘らない。スペースも無制限といふ印象。我が國では官と民との區
>別がはっきりしてゐて、國語調査官をメルマガで批判しても反論がくるこ
>とはない。
>
>その何囘目の意見を 20 AUGUST 1981 の號から一つ。
>
>SIR: I believe I detect in your columns the growth of a new indoor
>sport. The game opens with an incisive and well-meaning letter or
>article on the subject of language. People then write in and score
>points by skinning the original writer with his own knife.
>
>Then more people write in and skin the skinners, and so on. It
>happened to a reverend gentleman a few weeks ago and is happening
>again with David Crystal. It is an exciting and noisy game,
>glasshouses crashing down and petards being hoist all over the place.
>
><貴紙に新しき室内遊戲の誕生を感知したと信ずるものであります。それ
>は、國語を主題とした鋭利且つ善意の投稿もしくはエッセーで始まり、つ
>いで人々がそれぞれの得物で最初の執筆者の皮を剥ぐべく投稿する。そし
>てさらに大勢の人が投稿してその皮剥人の皮を剥ぎ、とつづくわけです。
>數週間前に聖職者の方に起ったことが、今度はデイヴィッド・クリスタル
>に對して起った。この遊戲はガラスの家は音を立てて壞れ、あたり一面に
>爆藥がしかけてある刺戟的且つ五月蠅いものだ。>
>
>The rules are obviously as complicated as your crosswords, but I
>think I've spotted some of the main points-earning categories: (a)
>getting your piece published; (b) spotting others committing the
>sin they are condemning (double points if you can catch out a
>professional writer, treble for a professor of linguistics); (c)
>displaying knowledge of Fowler; (d) taking a considered view
>different to Fowler's; (e) displaying knowledge of Latin and
>Greek, though this can cause penalty points if you are led to
>believe that English pronunciation follows the classical---Basil
>Druitt (Letters, 6 August) is close to the line here. Other
>categories can be added as necessary.
>
><遊戲規則が貴紙のクロスワードと同樣に複雜であることは明らかである
>が、主な得點方法は次のやうなものになると思ふ。(イ)意見の掲載。
>(ロ)非難してゐる間違を主張者自ら犯してゐることの指摘。(ハ)ファ
>ウラーを讀んでゐるとみせつけること。(ニ)ファウラーの意見を考慮し
>た上で、それと異る見解を立てること。(ホ)希臘語拉丁語の知識を開陳
>すること。ただし、英語の發音は古典語のそれに從ふべきだと主張するな
>ら減點。---バジル・ドゥルイド氏(8月6日投書)の場合はここのとこ
>ろできはどい。>
>
>
>ファウラー(兄弟)といふのは OED や COD の編者として有名。ここでは
>兄 Henry W. Fowler の A Dictionary of Modern English Usage のこと。
>
>そして自分の番 (Anyway, my turn.) だと、つぎのやうにつづける。
>
>First, David Holbrook (Letters, 6 August) should know that Fowler
>decries dislike of `different to' as a superstition, and most of
>us would, I think, agree with that. And whether you say `poor' or
>`pore' depends on where in England you come from.
>
>I should have thought that the BBC's growing willingness to employ
>non-Oxbridge accents manifests an increasing attention to language
>use. David Holbrook says he regards the more common use of
>regional accents as a gain. But this must inevitably introduce a
>variety of pronunciations, especially of extended vowels. So what?
>
><第一に、デイヴィド・ホルブルック(8月6日投書)氏にいふが、
>different to といふ表現に對する嫌惡をファウラーは迷信だと非難して
>ゐるし、大抵の人が同意見だと思ふ。それからプアと發音するかポアと發
>音するかは出身地の問題。BBCがなるべくオックスフォード風やケンブ
>リッヂ風でない話手を雇用しようしてゐることは國語問題に關する關心の
>増大を示すものだと考へるべきであった。
>
>デイヴィド・ホルブルックは方言使用の増加を利點だとみなすといふ。し
>かし、これは必然的に多樣な發音を導入し、とくに母音の延長をもたらこ
>とになる。だからどうした。>
>
>かういふ風に議論を續けられる國がうらやましい。我が國では辭書は新し
>くなれけば價値がない。ファウラーみたいなものも聖書みたいなものもない。
>
>さて、この投稿者は、First, Secondly, Thirdly とつづけて、最後に
>David Holbrook の投稿を次のやうに批判する。
>
>David Holbrook's choice of `different to/from' as an example of
>good and bad standards could hardly have been more felicitous if
>he were trying to prove that he does not know what he is talking
>about.
>
>
><デイヴィド・ホルブルック氏が different to か different from を選
>んで好い惡いの例としたのは、もし氏が自ら主張してゐることの意味を
>解ってゐないといふことを證明しようとしてのことであるなら、これ以上
>適切なものはない。>
>
>
>なんとも嚴しいものだ。しかし、一方的にやりこめるだけでは遊戲が續か
>ない。それで最後の結び(なんといふ redundant な表現)は
>
>
>Not wishing to be a spoilsport for those who wish to play the game
>after me I have left a few howlers or semi-howlers in this letter!
>
>
><遊戲をつづけたいとする人々に對して愉しみを奪ふ氣はないので、大き
>な間違ひ、それほどでもない間違ひを自分の投書には忍ばせておいた。>
>
>
>さて順序が逆になったけれど問題の David Holbrook の 6 AUGUST 1981の
>投稿には
>
>
>Those who make a special study of the use of language bear a
>responsibility to civilisation, by upholding standards. Why,
>otherwise, do we appoint professors of linguistics or English, who
>are expensive items in universities,
>
> unless we hope thereby to increase knowledge which will help us
>to maintain and develop a sense of human value and meaning? Anyone
>in the Humanities takes on such responsibilities, and there is a
>sense that culture is indivisible. Where meaning is confused, or
>standards decline, then attitudes to life suffer, and civilisation
>becomes threatened. It is of considerable importance to our
>society, whether or not the BBC, a public corporation with a
>significant role in our life, cares about the use of language.
>
>
><國語を專門に研究する人々には標準を維持するといふ文明に對す責任が
>ある。さうでなければ、我々が大學に國語もしくは言語について費用のか
>かる教授を置くのは何故なのか。人間の價値と意味とについての判斷力を
>保持し發展させるために役立つとするからではないか。
>
>人文學にゐる人間なら誰もがそのやうな責任を負ふし、そこには文化とい
>ふものが不可分であるといふ感覺がある。意味に混亂が生じ、基準が下れ
>ば、生に對する態度が損なはれ、文明が脅かされる。我々の生に對し重い
>役割のあるBBCといふ公的機關が國語の用法に頓着するかしないかは、我
>等の社會にとって大きな意味のあることだ。>
>
>
>13 AUGUST 1981號の投書には
>
>Soon after reading Professor Crystal's article, I came upon the
>following passage in Morley's [Life of Gladstone] under the
>heading `Table Talk': `In the evening Mr G. remarked on our debt
>to Macaulay for guarding the purity of the English tongue. I
>recalled a favourite passage from Milton, that next to the man who
>gives wise and intrepid counsels of government he places the man
>who cares for the purity of his mother tongue.
>
>
><クリスタル教授の論を讀んですぐの頃、モーリー著『グラッドストーン
>傳』で Table Talk といふ見出しのところに、「その晩G氏は英語の純粋
>さを護ってくれた點で我々はマコーレイに負ふといふことを述べた。それ
>で好きなミルトンの一節を思ひ出した。曰く、賢明にして豪膽な政治上の
>助言者の次に位置すべきは母國語の純粋さのためにはたらいた者也。」>
>
>
>最近、外國語のカタカナ表記でそれこそ頭の皮を剥ぐやうな批判があっ
>た。國語でなぜさういふ議論が起らないのか。文部官僚の縄張りだと思っ
>てゐるからなのだらうか。
>
>David Crystal の Who Cares about English Usage? はこれを本にしたも
>のだと思ふ。12 JULY 1984號にでた書評の一節を最後にかかげる
>
>
>The abuse of language is the inevitable consequence of generations
>of politicised education. It became more important to guarantee
>that everyone left school with a certificate--hence the idea of
>the `no-fail' examinations. Teachers, substantially the architects
>of linguistic destruction, were urged to encourage children to
>`express themselves', regardless of grammar, vocabulary and style.
>
>They felt that a child's ramblings indicated development. Those
>children, older, are still rambling, their language a barrier to
>communication. We let the teachers and politicians get away with
>it. We did not go to the barricades over falling educational
>standards. We forgot that education is far too important to be
>left to educators.
>
>
><國語の誤用は政治化された教育を受けた世代の不可避の結果だ。だれも
>が學業ををはるにあたって修了證書を手にすることが一層重要とされた。
>然り而して落第のない試驗といふ考へが生まれた。實質的に國語破壞の技
>術者たる教員は兒童に、文法、語彙、文體などはどうでも、とにかく自己
>を表現することを獎勵した。
>
>もごもごした表現を發達を示すものと受取った。兒童は歳を重ねてももご
>もごしたものいひだから、國語はコミュニケーションの阻害要因となっ
>た。我々は教員や政治家に好きにやらせてきた。教育の水準が落ちること
>に對して身を挺して
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