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>平成25年('13)8月3日 第1878号
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>日本における左翼出版
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>平井修一
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>日本でマルクス=共産主義など左翼の文献を本格的に出版し始めたのは「改造社」だった。改造社は1919年(大正8年)4月に山本実彦(さねひこ)が創業したが、山本は左翼ではなく事業家だった。市場があり、商機があれば果敢に出版し、「ビジネスとしての左翼本出版」もそのひとつだった。
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>山本は天才的なアイディアマンで、1926年(大正15年)からは予約購読制の1冊1円の全集本「現代日本文学全集」(全63巻!)の刊行を開始、38万部という空前の大ヒットとなり、他社も追随して昭和初年の出版界に「円本ブーム」を巻き起こした。
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>これに反発した岩波書店は1927年(昭和2年)、「岩波文庫」を創刊して対抗する。岩波書店がいかに改造・山本を嫌ったか、それから86年たった今でも岩波文庫の巻末には「読書子に寄す 岩波文庫発刊に際して 岩波茂雄 昭和二年七月」の文章が載っていることからもうかがわれる。曰く——
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><その広告宣伝の狂態はしばらくおくも、後代にのこすと誇称する全集がその編集に万全の用意をなしたるか。千古の典籍の翻訳企図に敬虔の態度を欠かざりしか。さらに分売を許さず読者を繋縛して数十冊を強ふるがごとき、はたしてその揚言する学芸解放のゆゑんなりや。吾人は天下の名士の声に和してこれを推挙するに躊躇するものである。
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>このときにあたつて、岩波書店は自己の責務のいよいよ重大なるを思ひ、従来の方針の徹底を期するため、すでに十数年以前より志して来た(岩波文庫の)計画を慎重審議この際断然実行することにした。
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>この文庫は予約出版の方法を排したるがゆゑに、読者は自己の欲する時に自己の欲する書物を各個に自由に選択することができる。携帯に便にして価格の低きを最主とするがゆゑに、外観を顧みざるも内容に至つては厳選最も力を尽くし、従来の岩波出版物の特色をますます発揮せしめようとする。
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>この計画たるや世間の一時の投機的なるものと異なり、永遠の事業として吾人は微力を傾倒し、あらゆる犠牲を忍んで今後永久に継続発展せしめ、もつて文庫の使命を遺憾なく果たさしめることを期する、云々>
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>改造・山本の円本を「一時の投機的なるもの」と断じている。
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>この岩波の反撃に山本は断然発奮し、「マルクス・エンゲルス全集」刊行を企画、岩波書店などの五社聯盟(れんめい)版と競合することになった。大村泉著「2つの日本語版『マルクス=エンゲルス全集』の企画(1928年)」はこう解説している。
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><第2次大戦以前に刊行された邦訳「マルクス=エンゲルス全集」でもっとも有名なものは改造社版(1928〜1935年、全32冊)だが、最終的には日の目を見なかった企画として1928(昭和3)年に同人社、弘文堂、希望閣、岩波書店、叢文閣の5社が企画した、いわゆる5社聯盟版「マルクス=エンゲルス全集」があった。
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>2つの全集企画は全国紙各紙だけではなく地方紙でも大きく宣伝され、予約購読者が募集された。両企画の宣伝戦は1928年6月に頂点に達した>
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>日本海海戦並の世紀の大決戦に圧勝したのは、拙速だろうが機動力を発揮して速攻した改造・山本だった。実際に刊行できたのは改造社版だけで、岩波らの聯盟版は「船頭多くして船、山に上る」、多くの学者がかかわったためにバルチック艦隊のように動きが遅く、ついには座礁、頓挫してしまったのだ。
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>山本は容赦なく岩波を追撃し、1929年(昭和4年)から「改造文庫」を発刊した。岩波文庫つぶしを狙ったのだ。
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>元気いっぱいで文芸春秋社に次ぐ大出版社になった改造・山本だが、日米戦争の激化で出版用紙が欠乏し、結局は用紙割り当てが得られずに多くの出版社同様に1944年(昭和19年)に解散に追い込まれた。戦後、山本は政界へ転じ、出版社としての改造社は再起しなかった。
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>1945年8月15日に敗戦し、米軍の占領が始まるが、本土決戦に備えて隠匿してあった用紙が一斉に市場に出回ったのだろう、出版界は急速に息を吹き返す。
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><早くも(敗戦から2か月もたたぬ)9月24日には総合雑誌「新生」が創刊され、活字に飢えた人々により13万部が即日完売した。10月には彰考書院が「共産党宣言」(幸徳秋水・堺利彦訳)を刊行、これ以降マルクス主義文献の刊行が盛んになっていく>(三上正良「民主化運動と占領政策」)
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>この頃に青木書店と大月書店も共産主義文献の出版社として誕生した。戦後の共産主義文献の出版社、左翼系の出版社は多く、三一書房や現代思潮社などもあるが、青木書店と大月書店はともに絶大な影響力をもった代表的な出版社なので、この2社の紹介を末尾に注記しておく。
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>この2社は確信犯的な左翼出版ではあるが、出版社の域にとどまった。ところが岩波書店はその域を超えて超弩級(どきゅう)の左翼論壇グループを育成し、影響力は朝日新聞並にすこぶる大きかった。猫撫で声できれいごとを並べ、ピンクから真紅まで、容共左派からマルクス原理主義者まで、労働者、学生から学者まで、貧乏人から金持ちまで、トロール漁船のように左翼を糾合し、反日を煽った。
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>その基幹的月刊誌が1945年12月創刊の「世界」で、初代の主幹は安倍能成、編集長は吉野源三郎だった。
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><吉野は(昭和初めの)予備役陸軍砲兵中尉だったころ共産党の同調者として軍法会議にかけられ、懲役2年、執行猶予4年の刑を受けた。安倍が「吉野は札付きのアカだから」と言ったのはこのことを指す。
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>吉野は戦争中は共産党のシンパとして捕えられた。(戦後の)吉野は隠れ共産党員で、昭和32年ころの公安調査庁調べでは岩波社員の4割は共産党員またはシンパだと言われた。安倍が文部大臣になって去った後、吉野は名実ともに「世界」の編集長になり、折から左翼全盛の時代に乗じて「世界」は売れに売れた>(山本夏彦「私の岩波物語」)
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>吉野はGHQ製の戦後民主主義の立場から、1960年の安保闘争を中心に反戦、平和の姿勢で論陣を張り、戦後から1960年代までの左派全盛時代に「世界」は論壇全体の中核的月刊誌として権威を誇り、その後も左派論壇の中心的地位を占めた。
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>共産主義を普及させるために岩波は捏造もどきの原典の改竄、歪曲を平然と行い、ばれてもてんとして恥じなかった(「きけわだつみのこえ」「紫禁城の黄昏」)。わが師、山本夏彦翁は追捕の手を緩めない。
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><岩波は朝鮮戦争は韓国がしかけたと言った。ハンガリー事件のときはソ連の肩をもった。中国にはハエは一匹もいないと書いた。文化大革命を支持した。林彪が死んだことを秘して西側のデマだと言った。社会主義は善であり、資本主義は悪だから、サギをカラスと書いてもちっとも悪くないのである。
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>戦後の岩波の歴史はミスリードの歴史であること、朝日新聞に似ている。岩波茂雄は昭和21年4月に死んだ。いい時に死んだ。岩波は吉野源三郎の編集ぶりを見ないで死んだのは幸せだった>(「私の岩波物語」)
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>1980年代以降の左派論壇衰退により、「世界」は数ある月刊論壇誌の一つになったが、朝日新聞社の「論座」が2008年9月に休刊して以降は左派論壇唯一の最後の牙城となっている。性懲りもなく岩波は「創刊以来67年、日本唯一のクオリティマガジン」と嘘をついているが、"先例優先"の図書館の注文で生き延びているだけだろう。休刊が待たれる。
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>いささか長くなった。読者を煩わすばかりだろうからとりあえず筆をおく。(2013/08/02)
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>注)
>■ (株)青木書店:東京都千代田区神田神保町1-60
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>1945年に青木春男が創業。マルクス主義に基づいた出版物を主要分野としていた。1960 - 70年代の大学紛争の時代にはマルクス・エンゲルス関係の出版物でよく知られた出版社であったが、90年代のソ連・東欧の解体と共産主義の退潮以来、出版活動にも影が差すようになり、社会科学、教育、環境思想などの容共左派向け出版物も手がけるようになった。
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>1950年代から60年代にかけては「青木文庫」を発行して、社会科学やプロレタリア文学など、多彩なラインアップを維持していたが、1980年代になって文庫本から撤退した。
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>共同通信によると創業者の青木春男は2006年4月に88歳で死去した。彼の出自などは不明だが、「主婦の友社」に勤め、戦後独立して青木書店を創業したという。事業としての左翼出版だったろう、晩年の青木はゴルフを大いに楽しんだようだ。二女はジャーナリストの青木冨貴子である。
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>■(株)大月書店:東京都文京区本郷2-11-9
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>1946年に小林直衛(なおえ)らによって東京・有楽町に設立された。協力者には日本共産党幹部の野坂参三などがおり、マルクス主義関連の書籍を刊行するために設立された日共系の出版社である。
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>「マルクス・エンゲルス選集」「レーニン全集」などは多くの学生、研究者、労働者に読まれ、総発行部数は300万部に及ぶと言われている。文庫版シリーズとして「国民文庫」も発刊した。日共との結びつきが深い全日本教職員組合(全教)の機関誌である「月刊クレスコ」の発行もしているが、近年では日共の影響力は衰退しているようである。
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>小林直衛は1901:明治34年−1978:昭和53年。山梨県出身、京都帝大で河上肇に師事。卒業後、労農党書記などをつとめ労働運動に参加。思想としての左翼出版だった。77歳没。
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