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>平成25年('13)8月9日 第1884号
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>淫乱「晴美」と桃色「寂聴」
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>平井修一
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>瀬戸内寂聴の写真を見て、「この人は仏門に入って比丘尼になったというが人相が悪いなあ、ケンがある」と思ったのは10年ほど前か。7年ほど前には寂聴のコラムを読んで呆れたことがある。
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>このコラムは、BSE(牛海綿状脳症)問題で輸入が禁止されていた米国産牛肉が輸入再開されたものの、特定危険部位が交じっていたりして、その賛否が騒がれていた頃のものである。寂聴は「BSEでヤコブ病にかかり脳みそがスポンジ状になるなんて空恐ろしい、おいしい牛肉を安心して食べられるようにしろ」と不安を煽って大騒ぎしていた。
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>この人は「最高級のおいしいものだけは何をおいても食べたい」のだそうだ。変な比丘尼。
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>小生はBSEで死んだ人なんて聞いたこともないし、たとえあってもごく少数の例外的なものだろう、大体米国では「食用は生後20カ月以下」なんていう規制はしていないし、死者がいるわけではない、騒ぐのはいかがなものか、不安なら食べなければいい、と思っていたから、「寂聴は思考停止のヒステリーか」とバカにしたのである。
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>最近になって寂聴が大江健三郎率いる「9条の会」の支部「憲法9条京都の会」を結成したことを知り、寂聴とは何者か、なぜに容共左派の反日屋になったのかと興味を覚えて調べてみた(注)。
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>寂聴の人相については、吉水神社(奈良県吉野町)佐藤素心宮司が、「寂聴の眉間のしわが意地悪く曲がっており、年齢とともに悪い顔、傲慢でペテン師、詐欺師特有の顔になってきた。慇懃無礼な高慢ちきの顔をして、あなたの気持ちわかるわよ、と手など握りさすり、泣いたふりをし、見えない陰で札束を勘定している顔である」と書いている。
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>佐藤宮司は大阪府警出身である。万引き犯から詐欺師、人殺しまで犯罪者をずいぶんと見てきただろうから「悪相」を知っているだろう。上記の見立ては当たらずとも遠からずではないか。
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>寂聴は1922:大正11年生まれ。二人姉妹で、姉は美人だが寂聴は違った。小さなころから姉と比較されるから屈折する。母親から「お前は器量が悪いからせめてニコニコしなさい」と言われたから、トラウマになる。寂聴は写真に撮られるとき無理に笑顔を作るから変な顔になる。寂聴はこの母を生涯好きにはなれなかった。
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>寂聴は理性でなく感情の人である。芸術家肌とはそういうことなのか。優等生だから本心を隠して「できる子」を小さなころから演じてきた。それはストレスとなり内圧が高まるからいつかは爆発する。
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>女学生時代に寂聴は林芙美子に魅かれた。芙美子は同棲しては別れることを繰り返した"新しい女"だった。寂聴は「芙美子は心の故郷」と言う。
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>岡本かの子も大きな影響を与えた。この自由奔放で女王然としたかの子には夫婦間の道徳もなかった。これまた"新しい女"だった。寂聴の東京女子大卒論テーマは「かの子」だった。
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>"新しい女"に貞操観念があるはずもない。教祖の平塚らいてうも結婚や家制度を否定していたが、寂聴もそれに影響されただろう。1942:昭和17年に学者と結婚し、娘をもうけるが、1948:昭和23年、夫と3歳の娘を残して4歳年下の愛人と駆け落ちした。初めての恋にすべてを忘れた。
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>「小説を書きたい、結婚生活に耐えられない」という思いもあったが、醜女(しこめ)の深情け的な感情のまま、寂聴曰く「一種の真空状態」で突っ走った。愛人は「観念的な恋をしていたのであり、出奔という私の蛮勇に怖れをなして逃亡先の京都には現れなかった」。寂聴の独り相撲だったが、「アウトローの道だが、私は私の本道へ出て、明るく陽の輝く白い道を歩いていく」と、この出奔を合理化した。
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>やがて寂聴は妻子持ちの作家と同棲し、さらには4歳年下の愛人ともよりを戻して、二人の愛人の間を右往左往した。下半身がだらしがないのだ。若いツバメはこんな異常な生活に耐えられなかったのだろう、逃げてしまった。「愛を裏切られたという思いではなく、自尊心を傷つけられたという痛みが強かった」。バカにしやがって、という恨みである。
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>寂聴はニンフォマニアではなかったか。淫乱、色情狂の類だ。女学生の頃に易者から「性、淫乱」と言われている。ポルノまがいの小説を書いて「子宮作家」と呼ばれ、中央文壇から5年間干されたこともある。性道徳がないから平気でジェンダーフリー論者のようなことを書く。
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>「セックスの上手な男女というのは、想像力があるということです。相手が何を欲しているか、どこをどうされたがっているかを想像し、的確にその要求に応えてやる。あるいは本人も気が付かない要求を引き出してやるというのが、セックスにおけるイマジネーションということでしょう」
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>かの子の子分だから「恥」という心がない。そもそも「妻の座とか一夫一婦制への疑問」を持っていたし、「道徳を信じないし、信仰もない」、さらに「安穏な家庭的な暮らしは芸術家としては恥だ」と言う。そして居直るのだ。
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>「自分の行為に自分で責任をとればいい」「五欲煩悩迷妄の煉獄を経て初めて人間のことが見えてくる」
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>平塚らいてうは戦後、日本共産党と行動を共にしたから、寂聴も赤い尻尾を持っていたろうが、男どもとの交際で忙しいし、文壇での出世を考えると「アカ」を表に出すわけにはいかなかったのだろう、距離を置いて「桃色」のシンパにとどまっていたようである。今は「9条の会」ぐらいならいいだろうし、人気も上がるのではないかといういうわけだろう。こういうところはきちんと計算する優等生、打算家なのだ。
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>「私を裁けるのは、私に幼いままに捨てられた娘だけしかなかった」と言うが、娘を育てながら4年間も離婚せずに待っていた亭主はどうでもいいのか、寂聴は自分を「人非人」と呼んで再び居直るのだ。
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>新潮社の編集者から「作家は自分の恥を書き散らして銭をとるのだ」と言われた寂聴はその教えを守った。下らぬことを無知蒙昧の"信者"に語って本を売っている。「全盛を誇る時期を見て死にたい」と言う寂聴は悟道解脱からは程遠い俗物のままである。次の爆発はいつか。その際は自分だけで自爆してくれ。(2013/08/08)
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>注:参考文献は寂聴著「晴美と寂聴のすべて」「孤独を生ききる」「寂聴さんがゆく」。引用は原文通りではなく「大意」である。
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>なお比丘尼(びくに)とは、
>1:出家得度して具足戒(ぐそくかい)を受けた女性。尼僧。
>2:中世、尼の姿をして諸国を巡り歩いた芸人。
>3:江戸時代、尼の姿をした下級の売春婦。(デジタル大辞典)
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