>Webで見る(バックナンバー) ⇒ http://melma.com/mb/backnumber_108241/
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>□■■□──────────────────────────□■■□
> わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 2893号
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> 2013(平成25)年3月1日(金)
>
>
>
> 青森県の寿命また最下位:古澤 襄
>
> 維新の内紛に空中分解の予感:杉浦正章
>
> 腐敗、不正、権力の乱用は高官の殆どが「身に覚え」:宮崎正弘
>
> 辛い料理が好きだ:平井修一
>
> 吉原遊廓(よしわらゆうかく):渡部亮次郎
>
> 話 の 福 袋
> 反 響
> 身 辺 雑 記
>
>
>□■■□ ──────────────────────────□■■□
>第2893号
> 発行周期 不定期(原則日曜日発行)
>
> 御意見・御感想は:
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>━━━━━━━━━━━
>青森県の寿命また最下位
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>
>
> 古澤 襄
>
>読売新聞は青森県が都道府県別の平均寿命調査で、男女ともに全国平均
>を下回る全国最低だったことについて、県内の反響を伝えている。
>
>県は、喫煙や飲酒などの生活習慣が早死につながっているとみている。
>次々と対策を講じているにも拘わらず、全国最低から抜け出せなかった
>ことに関係者の落胆は大きいという。
>
><またも全国最下位——。厚生労働省が28日に発表した2010年の都道府
>県別の平均寿命調査で、本県は男性が77・28歳(全国平均79・59歳)、女
>性が85・34歳(同86・35歳)で、男女とも全国最低だった。男性は1975年
>から30年以上、不名誉な"指定席"にとどまり続けている。
>
>65年に始まった調査は5年ごとに実施されており今回が10回目。男性は
>46位の秋田県(78・22歳)より1歳近く短い最下位。「極端に男性が短命」
>(県幹部)なため、平均寿命の男女差は8・07歳(全国平均6・76歳)で全
>国1位だった。40代など比較的若い年代での死亡率が高いことも平均寿
>命を引き下げているという。
>
>女性も00年調査から3回連続の最下位で、46位の栃木県(85・66歳)とは
>約0・3歳差。06年調査からの平均寿命の伸びも全国平均(0・60歳)よりも
>低い0・54歳にとどまった。
>
>死因別の死亡率では、「がん」「心筋梗塞などの心疾患」「脳卒中など
>脳血管疾患」の3大死因が目立つ。男性が56・51%(がん29・91%、心疾
>患15・81%、脳血管疾患10・79%)で全国3位、女性も53・10%(がん
>21・47%、心疾患18・43%、脳血管疾患13・20%)で同5位だった。
>
>このほかの死因では、自殺が男性3・19%(全国3位)、女性1・16%(同
>8位)。糖尿病が男性1・29%(同4位)、女性1・30%(同10位)で高か
>った。
>
>県は、喫煙や飲酒などの生活習慣が早死につながっているとみている。
>
>県や厚労省の調査によると、本県の喫煙率(2010年)は男性が全国平均
>を3・9%上回る36・1%の全国トップ。飲酒習慣者率(同)は男性が 40・4%
>で全国平均を5%上回る全国1位。さらに、高肥満者率や食塩摂取量、
>歩行数なども全国平均よりも悪い数値を示している。
>
>江浪武志・県健康福祉部長は「寿命の伸び率は全国とほぼ同水準だが、
>もともとある寿命の差が縮まらない。一人ひとりの健康意識を高める取
>り組みが必要だ」と話している。
>
>■対策強化も実らず関係者ら落胆の声
>
>県は「短命県」の汚名返上のため、2008年に策定した県政の基本施策
>「未来への挑戦」(09年度から5年計画)に「健康寿命アップ」を明記。
>対策に本腰を入れているが、全国との差は縮まらないのが現状だ。
>
>県は死因1位となっているがん対策では、08年に検診の受診者増加や
>喫煙率低下に向け、数値目標を定めた推進計画を決定。11年度には「が
>ん・生活習慣病対策課」を新設した。
>
>13年度は、蓄積したデータを基に部位ごとにがんの地域別発生頻度、市
>町村のがん対策事業と患者数の相関関係などを弘前大と分析し、効率的
>な対策作りに役立てる予定だ。
>
>次々と対策を講じているにも拘わらず、全国最低から抜け出せなかった
>ことに関係者の落胆は大きい。この日に開かれた、がん医療の課題など
>を議論する「県がん医療検討委員会」(委員長=中路重之・弘前大大学
>院医学研究科長)で最下位が伝えられると、中路委員長は「この事実は
>重い」と発言し、会合は重苦しい雰囲気に包まれた。
>
>中路委員長は会合後、「診療の質は他県に劣っていないが、検診受診率
>の低さや喫煙率など指標がことごとく悪く、平均寿命を大きく引き下げ
>る早死につながっている。県民に健康に対する考え方をもたせる施策が
>弱い」と指摘した。(読売)>
>
>2013.03.01 Friday name : kajikablog
>
>
>━━━━━━━━━━━━━
>維新の内紛に空中分解の予感
>━━━━━━━━━━━━━
>
>
> 杉浦 正章
>
>もうブームの再来はない
>
>江戸っ子流にいえば維新の内紛は「ガキのけんかでもあるめえし」とい
>うところだろう。それにしても日銀総裁という最大の人事案件まで得意
>の"政治的アピール"に使うとは、維新の会共同代表・橋下徹はどうい
>う神経の持ち主なのだろうか。
>
>国会議員団を"下部(しもべ)"とでも考えているのだろうか。もとも
>と総選挙における大阪以外の地方区の壊滅は、橋下維新の虚飾性を露呈
>するものであった。ブームは幻であったのだ。これでは参院選挙で、再
>びブームなど起きるはずがない。
>
>かねてから「双頭のヘビ」と指摘してきたところだが、大阪から国会議
>員団を"遠隔操縦"することなど不可能だ。ましてや、橋下の頭の上が
>らない石原慎太郎がトップだ。
>
>「黒田東彦日銀総裁」人事に異論を唱えたかったら、大阪市長を辞めて
>自ら衆院議員になるべきであったのだ。維新の国会議員団の判断はまっ
>とうであった。
>
>騒動の発端は、日銀総裁に副総裁候補の岩田規久男を充てるべきだとす
>る橋下の主張に国会議員団側が反発したことにある。国対委員長・小沢
>鋭仁が「人事はベストに近い」と述べ、橋下の逆転人事を「黒田さんは
>辞退するだろう」と反対したのは筋が通っている。
>
>橋下は財務省出身だけを問題視しているが、日銀人事は純粋に適材かど
>うかに絞って判断すべきであって、経歴を問題にするのは不見識のそし
>りをまぬがれない。「口を出すな」という声ももっともだ。
>
>ところが橋下はこけんに関わると思ったに違いない。国会議員団にメー
>ルを送り、方針を覆そうとしたが、議員団の大勢は人事容認に向かって
>いる。
>
>ついに頭にきて「代表に口を出すなと言われたら、どうぞお好きにやっ
>てくださいということになる。そんなこと言われて代表のポジションに
>しがみつくような人生哲学は持っていない」と、お得意のたんかを切る
>に至った。
>
>記者会見でも議員団を「与党ぼけ」と、とんちんかんな批判をする始末。
>かねてから橋下の一貫した政治手法は、あらゆる事象を利用して"しゃ
>しゃり出る"というテレビタレント型である。
>
>先の桜宮高校の体罰・自殺問題でも、過激な発言を繰り返し、入試の中
>止や廃校の可能性にまで言及、心ある人々のひんしゅくを買った。教育
>の場を一挙に我田引水のアピールの場に変えてしまうのである。
>
>日銀人事も小沢が陳謝してけりがついたが、不思議なことに共同代表の
>石原慎太郎(80)や副代表の平沼赳夫(73)は関与しないまま。なぜか
>というと、二人ともメールが出来ないし、チェックもしないからだ。橋
>下はそれを知っていて下っ端にだけに怒りをぶつけたことになる。
>
>国会議員団は白旗を掲げたが、これもだらしがない。結局人事を容認す
>るなら最後まで突っ張るべきだった。次の選挙でも橋本人気を利用しよ
>うという魂胆があるからに違いない。しかし、おそらくその思惑は、無
>駄に終わるだろう。
>
>一連の橋下の行動で出てきた政治能力は、一部民放コメンテーターたち
>が「天才」と褒めそやすようなものでは全くない。むしろ「狭量」で
>「こらえ性」のない性格の露呈である。これでは国政はつかさどれない。
>
>橋下流で国際情勢に対処すれば、尖閣問題ではレーダー照射があった途
>端に、反撃命令を出すようなことになるだろう。政治とは咀嚼(そしゃ
>く)であり、熟成である。橋下の手法は大阪の市長レベルでは通用して
>も、国政には通用しない。
>
>総選挙で維新が取った54議席はその数ばかりに目が行っているが、詳細
>に選挙結果を分析すれば、もう既に維新ブームは陰りを見せていたこと
>が明白だ。
>
>54議席の内実は選挙区では当選者は大阪中心であり、全国的には地方区
>は壊滅状態であった。立候補者と当選者の割合は自民党が82%当選なの
>に対して、維新は9.2%にとどまった。大阪以外の当選率はわずかに1.
>4%だ。
>
>この結果が予感させるるものは参院選挙の不振であろう。今回の内紛は
>起きるべくして起きた。もともと石原や旧太陽系との合流は実体的には
>政策抜きの"野合"の色彩が濃厚であり、今後国会審議や具体的政策課
>題が発生するたびに、双頭のヘビは立木に引っかかって動けなくなる様
>相を呈するだろう。
>
>原発一つ取っても騒動の要因となる。この実態を度々有権者が目の当た
>りにすれば、再び維新のブームなどは起きえない。まさに自民党副総裁
>・高村正彦が「多くの国民が橋下氏を野党ぼけと思っている」と、批判
>したとおりだろう。 (政治評論家) <2013年03月01日>
>
>
>
>━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
>腐敗、不正、権力の乱用は高官の殆どが「身に覚え」
>━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
> 平成25(2013)年3月1日(金曜日)
> 通巻第3888号
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>
> 全人代直前、共産党員にはしる緊張感は軍事危機ではない
> 腐敗、不正、権力の乱用は高官の殆どが「身に覚えあり」
>********************************
>
>「裸官」が大量に発生するのは中国政治の腐敗した土壌にあり、すでに
>「18000名の高官らが法外なカネとともに海外へ逃げたが、習近平の反腐
>敗取り締まりによって逮捕・起訴・左遷・減給などの処分を受けた共産
>党員は百万名を越えた」(博訊新聞網、2013年2月28日)。
>
>そういえば、日本企業の或る役員から聞いたが、「ことしに入ってから
>高官らが賄賂を受け取らない現象がある」という。
>
>「裸官」とは家族親戚愛人を賄賂など不正に得た所得を外貨に替えて、先
>に海外へ逃がす共産党高官を指す。「腐敗は亡党・亡国に繋がる」とい
>う危機意識が習近平をして反腐敗キャンペーンの発動に突き動かした。
>
>しかし国家行政学院公共行政教室の竹立家教授によれば、「裸官はすで
>に118万人に達しており、高級公務員の46・7%の子女は海外で永住権を獲
>得している」と推計している。
>
>「こうした現象は改革開放以来、経済発展とともに富裕階級が出現し、
>彼らが子女を一斉に海外留学させたからだ」とする。
>
>だが、或る学者はもっと正確に情勢分析をして次のように言う。
>
>「腐敗がなくなる筈はなく、経済発展によるものというより、独裁的制
>度、全体主義的システムが内在する権力の行使、乱用、特権が生み出す
>ものであり、この制度を変革しない限り、腐敗を絶滅できないだろう」。
>
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>◎ BOOKREVIEW ◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>
> 外交とは戦争の一手段、命がけの使命感が必要である
> 日本の外務省はなぜかくも劣化してしまったのか
>
> ♪
>杉原誠四郎『外務省の罪を問う』(自由社)
>@@@@@@@@@@@@@@@@@@
>
>外務省を「害務省」と揶揄する向きが多い。
>
>評者に言わしめれば、外務省は国益を追求する交渉ごとよりも省益丸出
>しで行動する「エリートもどき」の集まり。だから省改革は、外務省の
>全員を一度、防衛省へ出向させ、すくなくとも半年、軍事訓練を受けな
>い限り高級職にはあたらせないとすれば良い。
>
>防衛の現場を体得すれば、多少は国益というものが分かるだろうという
>のが持論である。
>
>外務省は英語でミニストリー・オブ・フォーリン・アフェアーズ(Mi
>nistry offoreign affairs)だが、これはミニス
>トリー・オブ・フォーリン・あほヤーズと変えた方が良いのではないか?
>
>本書はそういうアホヤーズが過去にどれほど国益を損ない、むしろ外国
>に奉仕し、自らの失敗を省内でかばいあい、誤魔化し、マスコミの追求
>をはぐらかし、ほかに責任をなすりつけてきたかを抉った力作評論であ
>る。
>
>日本を駄目にした元凶は、この役所でもあったのだ。
>
>杉原氏は吉田茂を糾弾するところから本編を始めるが、真珠湾攻撃の最
>後通告翻訳を職務怠慢で遅らせて届けるという大失態を演じ、結果的に
>日本がだまし討ちをしたという印象を世界に与えた「国賊」たちが、戦
>後、責任をまったく追及されなかった経過を検証することにより、この
>隠蔽体質、無責任体制は、その後の省をあげてのODAの本質隠蔽に繋
>がったと言う。
>
>ペルー大使公邸における人質事件はフジモリ大統領の決断で武装強盗ゲ
>リラ集団を退治したが、あのときペルー大使の青木某は、橋本首相の写
>真をもって記者会見に臨んだ。バカ丸出しである。
>
>特命全権大使とは天皇陛下の名代であって首相の代理ではないという認
>識がないのだ。しかし、この青木某は処分されるわけでもなく、そのご
>アフリカの某国大使として赴任した。
>
>真珠湾だましうちの元凶となった当時の駐米大使は「わたしはなぜ自殺
>しなければならないのか。私は外交官である」という迷言を残した。
>
>直接の責任者だった奥村一等書記官は、その後、吉田茂によって外務次
>官に任命され、勲一等を授与された。
>
>その後も外務省からは加藤紘一、天木直人、孫崎亮などといったバカを
>量産した。
>
>こうした例を杉原氏は克明に網羅し、本書は外務省がいかに国益を守ら
>ない国賊どもの集まりであるかを、痛快に、しかし深刻にえぐり出した。
>
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
> 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
> ♪
>樋泉克夫のコラム
>@@@@@@@@
>
>【知道中国 868回】
>——「潜在的大国」への飽くなき欲望には際限がない・・・らしい
> 『中国崛起之路』(胡鞍鋼 北京大学出版社 2007年)
>
>「21世紀に入り、我われは戦略構想の時代を迎えた」。「大戦略とは歴
>史の総括であり、未来の選択である。大国、あるいは潜在的大国の未来
>という視点に立つなら、戦略構想こそがカギである」。
>
>「国家戦略構想の理論的基礎、歴史的経緯、グローバルな視点を定めた
>うえに、戦略目標策定、戦略段階選択、目標達成優先順位順を体系的に
>準備する」という大戦略構想こそが、「大国の貧富、盛衰、存亡と結び
>ついている」——と、なんとも昂揚した調子で書き出される。
>流石に「大戦略叢書」の一巻だけのことはある。
>
>「中国経済学界の思想的支柱であり、最も優れた業績の持ち主であり、
>中国政府の公共政策に最も重要な影響力を発揮している」(「著者簡介」)
>とされる著者の主張を簡単に纏めてみると、
>
>■「潜在的大国」である中国は地球上でそれ相応の地位を得るべきであ
>り、自らの「貧富、盛衰、存亡」を賭けた振舞いをしても当然ではない
>か。それは近い将来の大国への道を突き進む中国が享受すべき当然の権
>利であり、その権利を断固として行使するために「大戦略構想」はある。
>
>■社会主義の多国籍企業であり、グローバル企業である国有企業が資本
>主義の多国籍企業と最も異なる点は、国有企業の文化に現れている。中
>国の企業文化は中国の伝統文化に淵源を持ち、同時に西洋文化からも学
>んでいる。だが、それは西洋文化とは異なる。
>
>西洋文化は個人主義を強調するが、我が国の国有企業文化は調和・集団
>主義・奉仕精神をより強調する。我が国の国有企業は物質的な富だけだ
>はなく、精神的な富をも創造するがゆえに企業として極めて優れたもの
>である。
>
>■国家には「国家生命周期」というものが備わっている。かつての中国
>は自己変革が出来ず、自己変革の動きを抑圧したために、他の文化や勢
>力との衝突や競争の過程において衰退の道を歩まざるを得なかった。
>
>これこそ、伝統中国が急速に衰退の道を進んだ根本原因だ。自己変革を
>積極的に推し進め、絶え間なき創新こそが国家の崛起を速め、加速度的
>に強大化させる。ここに現代中国の迅速なる崛起の根本要因がある。
>
>■結論的に言うなら、21世紀、中華民族は数多ある世界の民族の中で抜
>きん出た存在となると同時に、中国が世界強国へ向かう世紀でもある。
>中国現代化の道は、すでに歴代の中国指導者が絶え間なく追求してきた
>道であり、全面的創新の道である。
>
>それはまた十数億の人民が挙って学んだものであり、その豊な成果を享
>受する道であり、「行いながら学び、学びながら行ってきた道」である。
>中国現代化の道こそが中国崛起の道であり、中国を全面的に改め、世界
>に影響を与える道でもある。
>
>——とまあ、身勝手でノー天気極極まりない大風呂敷を広げて見せるが、
>著者は執政党の統治能力を高め改善し、確固とした国家の不正・腐敗取
>締り体制を築くという「政治的基礎」を築くことが中国崛起への必要絶
>対条件だと主張する。
>
>一党独裁による効率的統治の一層の深化を、幹部による不正・腐敗体質
>の完全克服を意味するのだろうが、ともあれ、「公財私用」を当然視す
>る幹部が構成する共産党に?は不可能だ。
>
>やはり著者が先ず取り組むべきは民族気質の根本的改造への道であり、
>幹部の持つ伝統的不正・腐敗資質の全面的創新の道のはずだ。それがダ
>メなら、大戦略構想だの、中国崛起だの、潜在的大国だの、世界強国だ
>の、国家生命周期だの・・・大法螺を吹くなッ。
>《QED》
>
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>◇◆◇◆ 読者の声 どくしゃのこえ ◇◆◇◆◇◆◇
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>♪
>(読者の声1)貴誌前号投書欄のロシア対応について感想です。
>
>ロシアのプーチン大統領との信頼構築が必要という意見があります。し
>かしロシアには約束を守るという価値観があるのか疑問です。スターリ
>ンは国際条約は守られないと述べています。事実破られてきました。
>
>プーチンはソ連を支配した秘密警察KGBの出身です。
>
>ロシア人がロマノフ王朝に郷愁を抱くのは、共産主義時代の記憶を消し
>去りたいからでしょう。あるロシア人政治学者はマルクス主義が去った
>後残されたのは、ロシアの焼け跡だけであったと記しています。
>
>ロシアの良いものは人間を含めてすべて滅ぼされました。共産党に殺さ
>れた老若男女犠牲者の無数の白骨がロシア全土に埋まっています。ロシ
>ア問題の権威、瀧澤一郎先生は、領土問題は百年単位の話なので、北方
>領土問題は焦ることはないという考えです。
>
>焦ると弱みを見透かされて寸土を高く売りつけられます。
>
>ロシアには弱みがあります。それは今極東のロシア人が欧州方面へ流出
>しており人口が減っていることです。そこに支那人が入植してくるので、
>ロシアの弱点になりつつあります。遠からず日本に助けを求めてくるで
>しょう。
>
>その時しっかり取り戻せばよい。その時には南樺太も回収するというの
>が西村真悟議員の持論です。
>
>我々は第二次大戦におけるロシアの残虐な侵略と30万人以上に上る邦人
>被害を忘れることはできません。しかしロシアはソ連のゾルゲスパイ団
>の顕彰慰霊祭を今まで遠慮してモスクワでやっていましたが、今や東京
>で堂々とやっています。
>
>多磨墓地にはソ連諜報部の対日スパイたちが祀られています。完全に日
>本人を馬鹿にしているのです。またスパイ防止法のない日本はロシアス
>パイの天国です。レフチェンコ事件を見ると、ロシアのスパイ網は今も
>政財界マスコミ学界に深く浸透していると思われます。
>
>日本人はこうした事実を知ったうえでロシア問題を考えることが必要と
>思います。(東海子)
>
>
>(宮崎正弘のコメント)今月の『WILL』最終ページに堤堯さんの連
>載がありますが、おどろきは多磨霊園にある三島由紀夫の墓地のすぐそ
>ばが尾崎秀美のお墓の由です。初めて知りました。
>
>
> ♪
>(読者の声2)福岡近辺の読者の皆さんへ。3月10日はチベット騒乱の
>追悼記念日です。福岡では青山繁晴氏の講演会を実施します。
>
>3月10日の日曜日、福岡市天神のふくぎん大ホールで青山繁晴(国際戦
>略アナリスト)の講演会を実施します。
>
> 記
>
>とき 3月10日13時開場 13時半開演
>ところ 福岡市天神「ふくぎん大ホール」
>演題 ぼくらの祖国 ぼくらがアジアにできること
>会費 前売り2200円 当日2500円
>問い合せ 井上政典 090−3280−4025まで
>席数が690席しかありません。お早めにお申し込みください。
>
> ▽▽▽
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
><宮崎正弘の新刊予告> <宮崎正弘の新刊予告> <宮崎正弘の新刊
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>
>
> ♪
>宮崎正弘の新刊は3月4日発売です
>
>『世界は金本位制に向かっている』(扶桑社新書)
> 副題「ゴールドで世界支配を目論む中国」
>
> ドル基軸崩壊後を予測する最新刊です
> 定価720円 + 税
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>http://www.amazon.co.jp/dp/4594067778/
>
>(あとがき抜粋)
>
>「本書執筆中にふたつの「大事件」が起こった。あまりに迅速に、しか
>も本書の予測通りに事態が展開したので怖いほどである。
>
>第一は2013年2月2日、東京金が史上最高値をつけたことだ。
>
>第二は同じ週の米国議会の動きだ。「財政の崖」回避のためにプラチナ
>・コインを一兆ドル発行するという議論が沸騰点を迎え、議決には到ら
>なかったとはいえ、世界のマスコミが注目した。
>
>プラチナはゴールドと並ぶ価値があり、コインも世界各地で製造販売さ
>れている。日本では米国イーグル通貨が有名だ。
>
>週刊誌『タイム』(12年1月21日号)はこう書いた。
>
>「福祉と医療、保険制度の財源を如何にするか、議会は真剣かつ深刻が
>議論が必要とされ、その過渡期に財政の危機を回避するアイディアの一
>つが議論されることは何もしないよりマシだと民主党ベテラン議員は言
>うが、プラチナコイン発行など『まったく愚か』(クルーグマン)と反
>対論が強まった」
>
>結局、このアイディアは否決されたのだが、金本位制に反対の民主党が
>賛成に回り、金本位制復帰に賛成の多い共和党が反対したという皮肉な
>結末も党派の議会運営をめぐる駆け引きであり、近未来にまた出てくる
>アイディアだろう。
>
>かくして明日の経済展望は明確には見えてこず、賢明な投資家はキャッ
>シュポジションを高めながら次のチャンスに備えている」。
>
>アベノミクスの影で、世界の投資家らが考えていることは何か?
>宮崎正弘 『世界は金本位制に向かっている』(扶桑社新書)
> 定価720円 + 税
> アマゾンで予約募集中!
>http://www.amazon.co.jp/dp/4594067778/
>
>
>
>━━━━━━━━
>辛い料理が好きだ
>━━━━━━━━
>
>
> 平井 修一
>
>辛い料理が好きだ。好きだけれど、孫がいるときは唐辛子やショウガ、
>胡椒などを使った料理は作れず、ストレスがたまる。カレーも今では大
>人用の激辛と孫用の甘口のふたつを作るようにしている。面倒である。
>
>涙と鼻汁、咳が出るほど「うわー、辛いなあ!」という料理に出合った
>のは小学3年生か4年生、昭和35年(1960)のころだったろう。大人に連
>れられて行ったレストランのカレーが最初だった。多分、隣町の駅前レ
>ストランだったかもしれない。ショックだった。あるサイトから——
>
><わさび、唐辛子など補添的に辛味を付けることはありますが、外国の
>ように料理自体が辛いものはあまり見ませんね。日本人は「旨み」を重
>んじます。西洋人は旨み自体を感じ取れないそうです。
>
>日本の食品にはヨーロッパの食品に比べ、アミノ酸の量が少ないため、
>アミノ酸を取るために旨みの感覚が発達しているそうです。そのため、
>辛いという感覚があると旨みを感じられず、あまり好まれなかったよう
>です>
>
>ショウガ、辛子などを含めて辛いものを多用した日本料理はほとんどな
>い。七色唐辛子を含めた香辛料はトッピングとしては江戸時代から普及
>したが、辛い料理それ自体が普及したのはここ半世紀ぐらいではないか。
>1964年の海外旅行自由化で日本人が世界の辛い料理を知ったことが影響
>しているだろう。
>
>カレー製品には、その辛さの強弱を示す辛味順位が表示されているが、
>この辛味順位表は、ハウス食品が業界に先駆けて1972年(昭和47年)から
>カレールウ、レトルトカレーのパッケージに表示を始めたものだという。
>現在、各カレーメーカーでも同様の辛味順位がパッケージに記載される
>ようになっている。
>
>その頃から日本人は辛味料理に目覚めたのだろう。白菜キムチや辛子明
>太子、辛子高菜なども普及していった。
>
>辛味料理の普及には横浜中華街の影響も大きかったろう。1866年(慶応2
>年)の横浜新田慰留地から数えると150年弱の歴史をもつが、中華料理街
>として現在のような発展を始めたのは1955年(昭和30年)以降で、現在
>は0.2平方キロのエリア内に500店以上の店舗があり、日本最大かつ東ア
>ジア最大の中華街である。日本では神戸南京町や長崎新地中華街ととも
>に三大中華街とされている。
>
>中華料理のなかでも、四川料理では唐辛子が多く含まれている「豆板醤
>(トウバンジャン)」がふんだんに使われ、メニューの多くが辛い。こ
>の豆板醤の普及が日本での辛味料理の普及を大いに促進したのではない
>か。
>
>小生は豆板醤を野菜炒めや鍋料理、カレーにも愛用している。使いすぎ
>るとお腹の調子が悪くなるが、カミサンも好んでいる。孫がいるとこれ
>を使えないのでちょっとストレスになるが、いないときは遠慮なく利用
>できる。明日の昼食は辛いラーメンにしよう。
>
>
>
>━━━━━━━━━━━━━━
>吉原遊廓(よしわらゆうかく)
>━━━━━━━━━━━━━━
>
>
> 渡部 亮次郎
>
>学生時代はカネがなくて行けなかった。だが社会人になったと同時に今
>度は吉原そのものが消滅した。だから吉原を語る資格は、この場合「ウィ
>キペディア」にしかない。
>
>江戸幕府によって公認された遊廓。始めは日本橋近く(現在の日本橋人
>形町)にあった。一面「葦」が生えていたが、アシでは語呂が良くないの
>で「ヨシ」原といったらしい。人形町にあった三業地は「ヨシチョウ」
>だった。
>
>明暦の大火後、浅草寺裏の日本堤に移転し、前者を元吉原、後者を新吉
>原と呼んだ。元々は大御所・徳川家康の終焉の地、駿府(現在の静岡市
>葵区)城下にあった二丁町遊郭から一部が移されたのが始まり。
>
>明暦の大火(めいれきのたいか)は明暦3年1月18日(1657年3月2日)か
>ら1月20日(3月4日)にかけて、当時の江戸の大半を焼失するに至った大
>火災。振袖火事・丸山火事とも呼ばれる。
>
>被害は延焼面積・死者共に江戸時代最大で、江戸の三大火の筆頭として
>も挙げられる。外堀以内のほぼ全域、天守閣を含む江戸城や多数の大名
>屋敷、市街地の大半を焼失した。死者は諸説あるが3万から10万人と記録
>されている。江戸城天守はこれ以後、再建されなかった。
>
>火災としては東京大空襲、関東大震災などの戦禍・震災を除けば、日本
>史上最大のものである。日本ではこれを、ロンドン大火、ローマ大火と
>並ぶ世界三大大火の一つに数えることもある。
>
>明暦の大火を契機に江戸の都市改造が行われた。御三家の屋敷が江戸城
>外へ転出。それに伴い武家屋敷・大名屋敷、寺社が移転した。防備上千
>住大橋のみしかなかった隅田川への架橋(両国橋や永代橋など)が行わ
>れ、隅田川東岸に深川など、市街地が拡大した。吉祥寺や下連雀など郊
>外への移住も進んだ。市区改正が行われた。
>
>防災への取り組みも行われた。火除地や延焼を遮断する防火線として広
>小路が設置された。現在でも上野広小路などの地名が残っている。幕府
>は耐火建築として土蔵造や瓦葺屋根を奨励したが、その後も板葺き板壁
>の町屋は多く残り、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるとおり、江戸
>はその後もしばしば大火に見舞われた。
>
>徳川家康が天正18年8月1日(1590年8月30日)に江戸に入府し、その後、
>慶長8年(1603年)に征夷大将軍に任じられて江戸幕府を開くと、江戸は
>俄かに活気付き、鎌倉以来の関東の武士の都となった。
>
>家康は東海地方から多数の家臣団を率いて江戸に入ったため、江戸の都
>市機能の整備は急ピッチで進められた。そのために関東一円から人足を
>集めた。
>
>また、戦乱の時代が終わって職にあぶれた浪人が仕事を求めて江戸に集
>まったことから、江戸の人口の男女比は圧倒的に男性が多かったと考え
>られる(江戸初期の記録は確かなものはないが、江戸中期において人口
>の3分の2が男性という記録がある)。
>
>そのような時代背景の中で、江戸市中に遊女屋が点在して営業を始める
>ようになった。
>
>江戸幕府は江戸城の大普請を進める一方で、武家屋敷の整備など周辺の
>都市機能を全国を支配する都市として高める必要があった。そのために、
>庶民は移転などを強制されることが多くあり、なかでも遊女屋などはた
>びたび移転を求められた。
>
>そのあまりの多さに困った遊女屋は、遊廓の設置を陳情し始めた。当初
>は幕府は相手にもしなかったが、数度の陳情の後、慶長17年(1612年)、
>元誓願寺前で遊女屋を営む庄司甚右衛門(元は駿府の娼家の主人)を代
>表として、陳情した際に、
>
> 1.客を一晩のみ泊めて、連泊を許さない。
>
> 2.偽られて売られてきた娘は、調査して親元に返す。
>
> 3.犯罪者などは届け出る。
>
>という3つの条件で陳情した結果、受理された。受理されたものの、豊臣
>氏の処理に追われていた当時の幕府は遊廓どころではなく、陳情から5年
>後の元和3年(1617年)に、甚右衛門を惣名主として江戸初の遊郭、「葭
>原」の設置を許可した。
>
>その際、幕府は甚右衛門の陳情の際に申し出た条件に加え、江戸市中に
>は一切遊女屋を置かないこと、また遊女の市中への派遣もしないこと、
>遊女屋の建物や遊女の着るものは華美でないものとすることを申し渡し
>た。
>
>結局、遊廓を公許にすることでそこから冥加金(上納金)を受け取れ、
>市中の遊女屋をまとめて管理する治安上の利点、風紀の取り締まりなど
>を求める幕府と、市場の独占を求める一部の遊女屋の利害が一致した形
>で、吉原遊廓は始まった。
>
>ただし、その後の吉原遊廓の歴史は、江戸市中で幕府の許可なく営業す
>る違法な遊女屋(それらが集まったところを岡場所と呼んだ)との競争
>を繰り返した歴史でもある。
>
>このとき幕府が甚右衛門らに提供した土地は、現在の日本橋人形町にあ
>たる(当時の)海岸に近い、葦屋町とよばれる2丁(約220m)四方の区画
>で、葦の茂る、当時の江戸全体からすれば僻地であった。「吉原」の名
>はここから来ている。
>
>寛永17年(1640年)、幕府は遊郭に対して夜間の営業を禁止した。この
>ことで市中に風呂屋者(湯女)が多く現れるようになり、その勢いは吉
>原内にも風呂屋が進出するほどだった。
>
>江戸市中は拡大しつづけ、大名の江戸屋敷も吉原に隣接するようになっ
>ていた。そのような中で、明暦2年(1656年)10月に幕府は吉原の移転を
>命じる。候補地は浅草寺裏の日本堤か、本所であった。
>
>吉原側はこのままの営業を嘆願したが聞き入れられず、結局、浅草寺裏
>の日本堤への移転に同意した。この際に北町奉行・石谷貞清は以下の便
>宜を図っている。
>
> 1.吉原の営業できる土地を5割り増し(3丁四方)
>
> 2.夜の営業を許可
>
> 3.風呂屋者を抱える風呂屋(遊郭の競合)を200軒取り潰し
>
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