>--------
>Webで見る(バックナンバー) ⇒ http://melma.com/mb/backnumber_179151/
>--------
>
>■○○■——■○○■——■○○■——■○○
>○
>○ 平井修一のメルマガ「ガツンと一発」
>○
>■○○■——■○○■——■○○■——■○○
>平成25年('13)4月18日 第1776号
>・・・・・・・・・・・・・・・
>
>記事や感想を下記アドレスへお寄せください。
>ishiifam@minos.ocn.ne.jp
>本名は明らかにし、匿名希望の場合はハンドルネームを付けてください。
>
>閲読について:
>http://www.melma.com/backnumber_179151/
>
>ブログ「普通の国にしたいだけなのだ」
>http://totopapa.iza.ne.jp/blog/
>■○○■——■○○■——■○○■——■○○■——■○○■——■○○■
>
>==========
>通詞・伊藤鶴吉のこと
>==========
>平井修一
>
>小生の父(大正9:1920年生)は頭が良かった。家は自作農とは言え余裕がないから尋常高等小学校どまりだったが、本来は東大や早大あたりまで進学してもおかしくなかった。12人きょうだいの次男坊だから自立するしかないので、職業軍人になった。
>
>終戦後は農業・平井家の入り婿になったが、平井家では父の頭脳を大層評価し、「やがては町長にしよう」と目論でいたそうである。
>
>ところが父は女癖が悪かった。もてたのだ。独身時代ならともかく、婿さんになってからもトラブルが絶えなかった。50歳で畜妾もした。
>
>頭が良かったことや達筆だったことなどは小生には遺伝しなかったが、助平は遺伝した。助平でも小生がトラブルにならなかったのは女から惚れられなかったからである。けがの功名みたいなものだ。
>
>ところで小生は中学生の頃から英語の達人になりたいと思っていた。東京外語大学と上智大学の米語科を受けたが、1969年のことで、東大入試が中止されたために、優秀な奴らがこの二つの大学にも応募してきた。結局小生は不合格になったのだが、まあ、その程度の能力だったのである。
>
>辛うじて横浜市立大学に潜り込んだが、商学部だったこともあり英語とは縁が薄くなった。それでも英語への関心はずっと続き、時々月刊誌『ENGLISH JOURNAL』なども読んでいた。英語力で出版社へ就職もできた。
>
>こうした経緯から昔から通訳者・翻訳者には敬意を表してきた。仕事でも翻訳でずいぶん稼がせてもらった。小生は音感が悪いのか通訳の才能はなかったが、翻訳は海外旅行業界では評価され、米国大使館からの仕事も多かった。
>
>なぜ評価されたのか。「世はいかさま」というが、翻訳臭を完全になくして完璧な日本語にすると誰も原文にあたらないことを発見したのである。翻訳が難しいところは「まあこういうことだろう」と処理した。精査すれば90点でも、完璧な日本語だから120点をくれる。いかさまは一度もばれなかった。
>
>通訳者・翻訳者を昔は通詞(つうじ)と言った。ウィキによれば「通詞は江戸幕府の世襲役人で公式の通訳。ポルトガルとの南蛮貿易の際の通訳に始まり、オランダ貿易や中国貿易などを担当した。通辞、通弁、出島役人などとも言う。蘭学などが彼らによって日本に入ってきたように、西洋文化受容の受け皿となっていた」。
>
>「受け皿」としてばかりではなく、外国に対する日本の紹介者でもあったろう。
>
>イギリスの旅行家イザベラ・バードの「日本奥地紀行」("Unbeaten tracks in Japan"1880年刊)には「イトー」という青年通詞が登場する。通訳ガイド兼添乗員兼執事として明治11年(1878)6月から9月にかけて47歳のバードが敢行した東京から北海道までの旅行に同行した。この青年については永らく気になっていたのだが、イザベラ・バード研究の第一人者である京都大学教授の金坂清則氏がこう記している。
>
><イトーは本名を伊藤鶴吉といい、その後も長く通訳ガイドとして活躍した。逝去に際しては、「通訳の名人」「通弁の元勲」などと称賛された。日本を訪れた著名人が彼の世話になっていた>(「I・バードと山形の旅」山県新聞2000年9月6日)
>
>調べてみると、伊藤は神奈川県三浦郡菊名村出身、安政4年12月17日−大正2年1月6日(1858年1月31日−1913年1月6日)。横浜で外国人から英語を習い、通訳となる。イザベラ・バードと出会った時は満20歳だった。日本初のガイド組織「開誘社」の設立に参画、さらに「横浜通訳協志会」会長となり当時の通訳の第一人者として国賓の通訳を務めるなど活躍した。胃がんのため横浜の自宅で逝去、享年57。
>
>伊藤はバードとの旅行を終えた後、9月14日、函館で別れるが、彼女はその時のことをこう書いている。
>
><とうとう今日は伊藤と別れたが、大変残念であった。彼は私に忠実に仕えてくれた。彼を通して私は、たいていの話題なら、他のいかなる外国人よりもずっと多くの情報を得ることができた。彼は、いつものように私の荷物をつめる、と言ってどうしてもきかず、私の身の回りの品物をすべてきちんと片付けてくれたのだが、彼がいないと、もうすでに私は困ってしまっている。彼の利口さは驚くべきものがある。
>
>伊藤は去る前に、私に代わって室蘭の長官宛に一通の手紙を書いてくれた。人力車の使用その他の私に親切にしてくれたことに対する礼状である>
>
>「これが伊藤についてのバードの最後の記述である。最後までバードを気遣う伊藤の気持ちが伝わって来るようだ」(白神りゅうやの旅と小説)。
>
>仕事とはいえ伊藤は過酷な旅行にあって献身的にバードに尽くした。業者からリベートを取るといった抜け目なさ、「いかさま」はあったが、通訳案内業としては合格点以上だろう。
>
>その後、バードは1894年(63歳)から1896年(65歳)まで毎年来日した。1901年(70歳)には6か月にわたりモロッコを旅行している。旅行作家とは言え、すさまじい行動力だ。1904年10月7日、病没、享年72。
>
>
>================================
>
>ブログ「普通の国にしたいだけなのだ」
>http://totopapa.iza.ne.jp/blog/
>--------
>
-----------------
sent from W-ZERO3
解除↓
00552428u@merumo.ne.jp
お小遣いサイト その�
ハッピーマイル
http://happymile.net/touroku.php?i=10247853
その�
トリプルポイント
http://triplepoint.jp/index.php?i=10276868
この号が気に入ったら押して下さい
▼イイネ☆彡
http://merumo.ne.jp/like/00552428/b26456/?guid=ON
[メルモPR]
メルモでメルマガ発行しよう!
http://merumo.ne.jp/
バックナンバー
http://bn.merumo.ne.jp/list/00552428
配信元:メルモ byGMO
http://merumo.ne.jp/
スマートフォンの方はこちらから登録端末変更をしてください。
http://cgi.merumo.ne.jp/reader/subsc_change.do
0 件のコメント:
コメントを投稿