>□■■□──────────────────────────□■■□
> わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 3082号
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>
> 2013(平成25)年9月29日(日)
>
>
>
> チェンジ・オブ・ペースの魅力:岩見隆夫
>
> 北の護りは屯田兵:山堂コラム 489
>
> 「中国の政治的影響を受けません」:宮崎正弘
>
> 「GHQ焚書図書開封」読書メモ(1):平井修一
>
> 祝!広島カープCS進出:馬場伯明
>
> 話 の 福 袋
> 反 響
> 身 辺 雑 記
>
>
>□■■□ ──────────────────────────□■■□
>第3082号
> 発行周期 不定期(原則日曜日発行)
>
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> 御意見・御感想は:
> ryochan@polka.plala.or.jp
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>━━━━━━━━━━━━━━
>チェンジ・オブ・ペースの魅力
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>
>
> 岩見 隆夫
>
>思いがけないことをやってしまうことがあるものだ。かつての長い船旅
>がそうだった。2007年 年明けのある日、私の書斎に女房がやってきて、
>
>「これ面白そうね」
>
>と新聞広告を見せた。私は一、二分見たあと、
>
>「うん、行こう」
>
>と即答したという。実はまったく記憶がない。青い海原が延々と目の前
>に広がっている情景を想像したような気がするが、自分がその立場になん
>て思ってもいなかった。女房も実現するなど念頭にもなかった、とあとで
>言っている。
>
>しかし、人生というか、不可思議なものである。話はトントン拍子に進
>んだ。加速力だけがついていく。私たち夫婦は07年4月3日横浜港出港
>の豪華客船「飛鳥2」(約5万トン、定員750人)に乗っていた。〈100日
>間世界一周旅行〉と銘打っている。
>
>この話は事前に相当知れるところとなって、驚く人が少なくなかった。
>現役の記者分際で分不相応という見方が多かったように思う。だが、現役
>といっても、私たち夫婦はこの時ともに71歳、引退組の気分である。
>
>問題は費用、客室にランクがあって、値段もピンキリだ。ピンでは到底
>太刀打ちできない。中ほどなら、なんとかなると私は思った。それと批判
>はあっても、熱望していることなら(実際はそうでもなかった)、記者
>OBだろうと何だろうと挑戦して何がおかしい、と反発心もだんだん湧い
>てくる。
>
>私周辺の人たちには、現に手がけている仕事をどうするんだ、無謀じゃ
>ないか、という驚きがあった。当時、私はテレビ出演がレギュラー2本含
>めて数本、新聞、週刊誌、雑誌の連載コラムが数本進行中だった。確かに
>無責任と言われれば、返す言葉がない。
>
>テレビ局を頭を下げて回った。
>
>「へえー、またどうして……」
>
>と意外そうな反応ばかりだった。
>
>「居なくなれば、1カ月で(君の居場所は)なくなるよ。いいのか、それで」
>
>と先輩の政治評論家、三宅久之さんも忠告してくださった。ありがたい
>と思ったが、もともと私はテレビ出演を継続することにほとんど執着心を
>持っていなかった。
>
>「あなたはテレビに向いてない」
>
>と女房から何度言われたか知れない。いい機会だから全部白紙に、ぐら
>いの気分だったのだ。
>
>しかし、ライフワークの活字原稿はそうはいかない。『毎日新聞』に毎
>週連載の政治コラム「近聞遠見」は身勝手にも約3カ月間の休載をお願い
>し、お許しを得た。当「サンデー時評」は未練が残った。船内からファク
>スで〈船旅日記〉のようなものを送稿したい、とこれまた勝手なことを
>言って、認めてもらった。
>
> ◇人の考えは必ず変わる きっかけ作るのも本人
>
>この〈船旅日記〉には騒動が持ち上がるオマケもついた。某日、私たち
>はインド洋上の無人島にボートで観光上陸した。短時間だったが、頭上の
>木々から小さい毛虫が降ってきたことに気づかなかった。
>
>帰船してから、顔から体から赤くはれる船客が大量に出た。被害者は百
>人を超えているらしく、私もその一人だった。この日の夕食は客が激減し
>た。しかし、船側は沈黙している。私は担当者を呼んで怒鳴りつけた。
>
>「なぜ船内放送で周知徹底させないんだ。客室で、体中がはれた理由もわ
>からず、しかし外に出るのも恥ずかしい年寄りがたくさんいるはずだ。す
>ぐに診療所に呼んで手当てしなさいっ!」
>
>それでやっと動き出した。だが、巨船のなかだから、大抵のトラブルは
>隠そうと思えば簡単だ。私はこの騒動を〈毒毛虫騒ぎ〉として「サンデー
>時評」に送った。
>
>船長はどうやら、本社に報告していなかったらしい。しばらくして私の
>部屋に、本社の社長から直接電話が入った。
>
>「びっくりしました。ありがとうございました。きちんと処置します」
>
>社長は「時評」で初めて知り、あわてたのだ。「飛鳥2」の名誉にもか
>かわる。まもなく担当副船長が更迭されたらしく、途中下船していった−−。
>
>100日は長い。道中、宮沢喜一元首相が亡くなり、本社の求めで、追 悼の
>記事を送ったりした。帰国して、フジテレビの「報道2001」に出 演した
>ところ、評論家の竹村健一さんが、顔を見るなり、
>
>「あんた、えらいことするもんやなあ。テレビのレギュラー持ってて、こ
>んなことしたのは日本であんただけや。びっくりしたわ」
>
>と大きな声を出した。褒められているのか、バカにされているのか、も
>うひとつわからないが、精力的にテレビ人生を送ってきた竹村さんには、
>理解を超えるものがあったのだろう。
>
>忘れがたいことが一つある。横浜出港まぎわ、私の部屋に小さな荷物が
>届いた。開けてみると、一冊の本。『茶味』(奥田正造著)。私とは縁の
>薄いタイトルである。トビラをめくる。
>
>〈謹呈 岩見仁兄
>
>祈世界一周船旅御平安 中曽根康弘〉
>
>とあった。
>
>なにしろ、このクルージング、100日中80日が洋上、とあって時間 の余裕
>はたっぷりだ。私は何度もこの白表紙のしゃれ本を取り出しては精 読し
>た。いまは何が書いてあったか覚えていないが、わが長旅にハクをつ け
>てもらったようでうれしかった。こんな気配りをしてくれた方はほかに
>だれもいない。
>
>−−「時評」になるか疑わしい一文を書いてしまった。ただ、人生のチェン
>ジ・オブ・ペースは大事だと私は思っている。人の考えは必ず何度も変わ
>る。激変か緩慢か、それが内にきざした時、敏感に察知し、チェンジの
>きっかけを作るのは本人の知恵だ。私の場合、その一つが船旅だった、と
>振り返って思う。
>
>仕事柄、政治家の立ち居振る舞いを見ている。最近は棒を呑んだよう
>に、いつまでも同じことを言っている政治家が多い。変わることが変節で
>あるかのように。しかし、そうではない。みごとに変身をとげてみせるほ
>うが、はるかに魅力的なのだ。
>
><今週のひと言>
>
>梅干し・コオリ・茶漬け 私の病気新メニュー。
>
>サンデー時評:2013年09月25日
>(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)
>(サンデー毎日2013年10月6日号)
>
>
>
>
>━━━━━━━━
>北の護りは屯田兵
>━━━━━━━━
>
>
> 山堂コラム 489
>
>今年も北海道へ行って来た。昔、特ダネ争った同業他社OB8人で毎年秋
>口に行っている。名付けて「蝦夷地・芋掘りツアー」———「全員揃ってや
>るのも今回が最後だべ」などと言いながら今年で6回目、平均年齢も74
>歳、最高齢者は77歳となった。
>
>北海道クラシックやニドム、桂、恵庭といった札幌・千歳周辺の名だたる
>コースはほとんど制覇。8人のうち北海道勤務経験者が3人いて夜は勝手
>知ったるすすき野の炉端・ソーラン節。「カアさん、八角(蝦夷魚)ねえ
>の?」と、みな酒は強いが流石に「2次会は女子大生サロンに行こう」と
>言うのはいなくなった。
>
>去年のツアーは函館でアンビックスと北海道CC大沼コースだった。大沼
>コースはつい先日JR函館本線で貨物列車が脱線した駅のすぐ近く。嘗て
>は道内はもとより、日本でも屈指と言われた名門コース。バブルの頃まで
>大沼プリンスに泊ってのプレーは成金のステータス。貧乏ブンヤのオラッ
>ちらは指咥えて見ているだけ。高根の花だった。
>
>だからみんな興奮して「憧れのハワイ航路」などピッピッ。口笛吹きなが
>ら函館空港から大沼に直行したがゴルフ場に着いたらウン?これがそうなの?
>
>午前中雨が残る天候のせいもあっただろう。我々を入れて5組ほどしかい
>ない。それでハーフ終わって昼メシにしようとしたら「クラブの食堂は
>やってません」だと。
>
>売店の菓子パン・魚肉ソーセージ急いで食って午後のプレー。そのコース
>も何たる荒れよう、いや寂(さび)れよう。キャディーが「西武はホテル
>からも手を引いたんだから・・・」函館本線でJRが脱線するのも無理は
>ねえ。
>
>オラの頃は函館本線の特急はC−62蒸気機関車が牽引していた。七飯から
>森町にかけての急勾配は2両のC−62が重連で引っぱる。それがすれ違う
>雄姿はポッポ屋映画では必ず冒頭のシーンを飾るほどの迫力だった。
>
>あの北の大地、裕福だったとは言わん。しかし活気があった。国労のアン
>ちゃんらが暴れて青函連絡船を止めると取材は徹夜のアサマデンコ—。青
>函労組の森脇のおっさんが後日国労中央委員長に出世して政治部にあがっ
>ていたオラのところに挨拶に来たのにも驚いた。
>
>あの頃に比べるとJR北海道や炭鉱街に限らない。道南も道東もどこもか
>しこもひどい寂れよう。閑古鳥が鳴いている。拓銀も潰れた。
>
>特急車両事故や線路の点検の杜撰さからJR北海道は弛(たる)みきって
>いると糾弾されている。しかしJR北海道——乗客も減り、売上げも減り、
>従業員も減り、保線区員も減る。
>
>反比例して増えるのは事故の数。線路点検がいい加減だと分かっていても
>あれだけ広大な大地。しかも寒冷地に敷き巡らせた鉄路をメンテするだけ
>の経費も人員も足りない。
>
>中曽根行革の国鉄民営分割化でJR北海道の従業員は40%削減された。通
>常経費も勿論赤字(24年度末で230億円・連結営業損益)。労組も分裂し
>て先鋭化グループとの間の軋轢も深刻である。
>
>そうした実情を知ってか知らずか、北海道はアカ、沖縄は媚中反日など
>と、このごろ北海道・沖縄を侮蔑するような物言いをする者が増えた。
>そりゃあ北海道はかつては不毛の開墾地。
>
>沖縄も琉球独立王国。しかしれっきとした日本国領土である。純ちやんの
>行財政改革などでそれでなくても地域格差が拡がり日本国そのものの屋台
>骨が揺らぎはじめているというに。夜郎自大のバカどもらは自分らだけが
>日本人だと思っているようだ。
>
>地方を差別し貶めることが日本国の地域格差に拍車をかけ、国の基盤を脆
>弱にする———それが一(いっ)かな分かっちゃいねえ。北海道を守るのは
>アメちゃんのオスプレイやF−15ではねえ。最後は屯田兵子孫の道産子
>たちだということ、忘れてはなんねえすよ。(了)
>
>
>
>
>━━━━━━━━━━━━━━━━
>「中国の政治的影響を受けません」
>━━━━━━━━━━━━━━━━
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
>平成25(2013)年9月28日(土曜日)
> 通巻第4030号
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>
>「ここは我々の国です。ネパールは主権国家、中国の政治的影響を受けま
>せん」
> 国家への誇りと伝統を自負するネパールの若者は教育の差によるのか?
>*********************************
>
>(ネパール紀行 その2)
>
>
><承前> カトマンズで2日目の夜、雷がとどろき豪雨となった。ポカラ
>からトレッキングへでかけた息子のことを案じつつ、夜明けを待つが、雨
>がやまない。雨期であることを思い出した。
>
>どしゃどしゃと音を立てて雨が乱暴に降るのである。
>
>翌朝、7時頃にようやく雨が上がった。
>
>案の定、道路はぬかるみ、クルマが水をはねて進むので、通りの商店街の
>シャッターに泥がはねる。排水が悪いうえ、このカトマンズの下町には歩
>道というものがない。いや、逆に狭い道路の辻々を小さな祠が占領し、さ
>らに牛がのうのうと歩いている。だから交通渋滞は車のみならず人と牛で
>も起こるわけだ。
>
>凄まじいバイクの量、自転車は少ない。人力車は減りつつある。タクシー
>はどうやら九割がスズキ・アルト(超小型車)だ。
>
>しかし悪道路事情にめげずに屋台の準備をする商人たちがいる。外国人と
>分かると執拗に声をかけてくるのはインド人のマナーと似ている。
>
>ネパールの風物を描いたペンダントを路上で売る手合いは結構しつこい。
>笛を吹いて、それを売りつける路地の物売りに混じって、道路で乞食が寝
>ている。辻のたばこ屋は客を見て値段を告げる(スーパーで値段を確かめ
>ると10円ほど高い)。
>
>道路の中央に砂利を積み上げてある理由がわかった。
>
>悪路が豪雨で水たまりができると、それで即席に補修をするためである。
>商店にはスコップが用意されており、自主的に道路を直している。そのう
>え、電力が安定せず、停電が頻繁におこる。
>
>店先を占領するのはカシミア製品、絨毯にアパレル、エベレストやヤクを
>描いた帽子、毛糸、数珠、絵はがき、ペーパークラフト、タンカ(仏
>画)、登山用品の店がある。これらネパール人の店の間に、ところどころ
>漢字の看板がある。
>
>食堂と安宿、旅行代理店、みんな簡体字で客を呼び込もうとしているが、
>それだけ中国人観光客が夥しいのである。
>
>
> ▼ヒンズーの文化と伝統をかたくなに守る日常
>
>宿舎のあるタメル地区というのは市内の真ん中からやや西寄りで、観光客
>向けの土産屋がひしめき合い、客を奪い合い、その路地にはマッサージ・
>パーラー、タットウ(入れ墨)、洒落た喫茶店に混ざって、レストランが
>何軒もある。
>
>しかしリゾートでみかけるような屋外式のバアがない。ガラス越しのパブ
>もないので、欧米人がどこで呑んでいるかは分からない。奥まった中庭風
>の路地にはいると欧米人が屯するビアガーデン風のバアがあった。
>
>表通りから離れた場所にしか許可が下りないからだろうと推測する。
>
>ネパールの国民の九割方はヒンズー教徒である。仏教徒はチベット系の
>人々が信仰しているが、文化遺産的な寺がたくさんあっても、カトマンズ
>市民はヒンズー教寺院にお参りを欠かさない。独特の灯明に、線香の臭い
>が鼻につく。
>
>バスの中で、若者と知り合った。先方から話しかけてきたのだ。
>カレッジに通う20歳男性。日本語も習っているというので、テキストを
>見せて貰ったら、我が小学校高学年用の教科書の転用だった。
>
>「日本人が減ったら、中国語のほうが実用的ではないのか」と聞くと、
>「でも中国へ出稼ぎに行くわけでもないし、雇用を考えると将来、日本で
>働くか、日系企業に勤めたい」と目標を語った。
>
>この若者によれば、大学の男女比は6vs4,女子学生がネパールでも急
>増していることが分かる。
>
>「金持ちの子供らはシンガポールか印度に留学するけど、中国へ留学する
>話しは聞いたことがありませんね」
>
>バスは庶民の交通機関で市内は10円、ちょっと郊外へ行くときも20円か25
>円である。ぎゅうぎゅう詰めの満員が常態で、隣の客とふれあうのも当然
>だろう。
>
>この国ではエリートは軍人である。軍学校は無料、しかし卒業後、軍に束
>縛されない。ポリスアカデミーも日本大使館のそばになる。大使館前の道
>路は拡張工事のため、凸凹、未舗装、砂利とコンクリートの破片でタク
>シーに乗ってもガタガタ揺れる。
>
>その道を曲がって下り坂の途中に大規模なロシア大使館と中国大使館がデ
>ンと構える。とりわけ中国大使館の警備が厳重である。
>
>バスの中でいろいろ会話していると、隣に座っていた目つきの鋭い若者が
>会話に加わってきた。若者達はなかなか流ちょうな英語を駆使する。「貧
>乏な家庭の子でも優秀なら陸軍大学へ行けるのですよ。その点は恵まれて
>います」。
>
>わたしは話題を変えて中国の進出をどう思うかと尋ねた。
>
>「中国の脅威?」、質問の矛先を変えると、次のように言った。
>
>「中国は脅威ではありませんよ。投資したいメリットがあるから大量に来
>ているけど、中国人観光客を見ていると、行儀が悪いので、商人以外は近
>づかないのでは。
>
>マオイスト? あの連中は分裂しました。次の選挙では、それほど得票で
>きるとは思いませんね。マオイストは、そもそも宗教を否定しているじゃ
>ありませんか。
>
>ストライキを指導しているのはマオイストではありません。ネパールの労
>働組合は賃上げと待遇改善を要求しているのであって、げんに見て下さい
>(ちょうどバスの横をデモ隊が通った)。彼らはネパールの国旗を掲げて
>いるでしょう」。
>
>「中国にネパールの政治が左右されるなんて、ないと思います。拝金主義
>の中国人とは、外交的計算いがいでうまくやっていけないだろうし、イン
>ド人も傲慢なところがある。ここは我々の国です。ネパールは主権国家で
>すし、われわれには投票できる権利がある。それも中国とは違いますよ」。
>
>なるほど、「ここは我々の国です。ネパールは主権国家、中国の政治的影
>響を受けません」と初対面の外国人に胸を張っていうあたり、日本の若者
>にも見倣って欲しいと思った。
>
>国家への誇りと伝統を自負するネパールの若者は教育の差によるのだろう。
>
>
> ▼古都で考えたこと
>
>そうこうしているうちにバスは目的地へ着いた。所用1時間。タクシーな
>ら40分でいけるのが、中世の都市バクタプルである。
>
>町の入り口で「拝観料」を支払う。500ルピー(首からぶら下げるチケッ
>トと地図を呉れる)。
>
>カトマンズ郊外にあるこの都市は嘗て王朝の首都、当時の建物が保存され
>ているので、100ほど前の世界にタイムスリップしたような錯覚に陥っ
>た。ここで、古い寺院の3階にのぼって撮影をしていると、欄干に2人の
>若者がいた。話しかけると、上海から来た中国人だった。
> (つづく)
>
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
> 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
> ♪
>樋泉克夫のコラム
>@@@@@@@@
>
>【知道中国 970】
>・・・うっかりものもいえんなあ、と誰かが笑った」(火野の1)
>「赤い国の旅人」(火野葦平 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
>
>「徐州、徐州と人馬は進む・・・」。『麦と兵隊』『土と兵隊』で知られ
>た火野葦平(明治40年=1907〜昭和35年=1960年)は、昭和30年4月21
>日、香港から中国へ。15年前、同世代の日本の男がそうであったように、
>火野もまた中国で戦っていた。
>
>火野は、4月初旬にインドで開かれたアジア諸国会議に出席した日本代表
>団41人のうち中国政府から招待された28人中の1人として中国旅行参加し
>ている。
>
>「政治家、経済人、学者、労働運動家、婦人団体代表、医師、作家、詩
>人、宗教家、など、一行はいろいろな階層の人からなっているが、左翼系
>と思われる人が3分の2を占めてい」た。
>
>先ず「私はかたよらぬ眼と心とで、すなおに新しい中国の姿を見たいと考
>えた」が、火野といえども、いや火野なればこそ戦争の傷痕は深いようだ。
>
>「私の立場としてはこれまでのありかたとしては十分反省して、控え目
>に、出しゃばらないように小さくなって、ただ新中国の実態をつかみたい
>と意図した」。
>
>そして「私は中国からは敵と目される人間の一人であるという自覚は、私
>を単なる旅人というのどかさから閉めだしたのみならず、いつか私に一つ
>の脅迫観念さえ植えつけていた」と付け加える。
>
>「強迫観念」などと、作品が醸しだす豪放磊落なイメージに似つかわしく
>ない弱気をみせるが、まるで生傷に塩をすり込むかのように「一行中の左
>翼人の或る者は終始私を戦犯呼ばわりし、インドにいたときから、いかな
>火野さんでも偉大なる新中国の建設の姿を見たら洗脳されるだろうし、も
>しそうでなかったら、もうあなたは終わりだといっていた」ほどだ。
>
>いつの時代でもそうだが左翼にせよサヨクにせよ、弱い立場に立たされた
>者を徒党を組んでイジメ倒すことを生業としている奴等だが、その化けの
>皮が帰路の香港で暴かれることになるので、どうか、その時を楽しみに
>待っていて戴きたい。
>
>さて肝腎の火野だが、周囲の雑音にもめげず「革命後の中国は昔とはすっ
>かり変ったといわれている。
>
>本当か、どうか? 変っているならどんな風に変っているのか? よく
>変っているか、悪く変っているか? 変りかたに納得が行くか行かぬか?
>肯定できるのか、否定しなければならないのか?
>
>それはただ行きずり旅人が未知の国の風光文物を観光するというのんきな
>ものではなく、私自身の全精神にひびくもの、人間として作家として、ま
>た日本人としての強い連繋と責任とを感じるものとして、私を緊張させて
>いた」と、中国旅行に賭けた熱い思いを素直に吐露する。
>
>この辺が、すでに見た米川や柳田のように、ノー天気にもアゴ足つきの招
>待旅行を謳歌している左翼とは、明らかに違う。
>
>流石に火野だ。伊達や酔狂で戦地に生きる兵士の姿を描いたわけではない。
>
>いよいよ中国に向かうことになるが、一行の事務局長は「中国に入ったら
>統制ある恥ずかしくない行動をとりたい。現在の中国は昔とはちがってい
>るのだから、車の、値段をねぎったり、ホテルのボーイをどなりつけた
>り、やたらマージャン・パイその他高価な土産物を買いあさったりしない
>ように願いたい。これから方々を視察しなくてはならないが、話を聞いて
>いるときに居眠りすることは禁物。
>
>前の視察団のとき、帰国後、車ひきやボーイの組合、大学生などから批判
>された前例がある」と注意したうえで、「われわれは香港滞在中からすで
>に中国政府から招待になっている。先方はそれだけ鄭重にやってくれてい
>るのであるから、こちらも十分にそれにこたえたい」
>と、全員に"クギ"を刺している。
>
>「香港滞在中からすでに中国政府から招待になっている」なら、香港にお
>ける一行は先方の監視下に置かれていた。いわば一行全員の香港における
>言動は逐一把握されていた可能性が大だろう。
>どうやら一行は既に香港で先方の掌の上で踊らされていたようだ。
>《QED》
> ▽
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>
>【知道中国 971】
>「・・・うっかりものもいえんなあ、と誰かが笑った」(火野の2)
>「赤い国の旅人」(火野葦平 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
>
>
> ▽
>現在では香港から中国に鉄道が通じているが、当時は旅客は香港側の終点
>である羅湖で一たん下車し、香港側と中国側とを限る深?河に架かる橋を
>渡り、中国側の始発駅である深?駅で広州行きの列車に乗り換えていた。
>
>現在の地名でいうと、深せん河が香港特別行政区と深せん経済特区を分け
>ているが、共に中華人民共和国であることに変わりはない。
>
>だが当時は、深せん河を挟んで手前の香港は英国植民地で経済的には自由
>放任主義、向こう側は社会主義の中華人民共和国。互いに交わることので
>きない政治・経済体制の下にあっただけに、列車が羅湖に近づくに従って
>旅客の緊張感は高まっていったはずだ。
>
>羅湖で一行を出迎えたのは「抗美援朝、解放台湾」などと書かれたポス
>ターだった。「お茶をよばれ」ながら待っていると、7人の案内人——つま
>り通訳兼監視人がやってきた。1人だけいた女性は、「まだ若くてきれい
>だが、男とかわらぬ地味な服装をしていて、白粉気もなかった。紅はもち
>ろんつけていない」。
>
>一行が中国入りした55年4月、毛沢東は2人の"忠臣"——文臣のトウ小平と、
>武臣の林彪——を共産党政権最高機関である政治局員に抜擢し、独裁体制へ
>向け着々と布石を打っていた。
>
>そして7月、文芸理論家・詩人・翻訳家の胡風を筆頭に130人ほどの「反党
>的知識人」が逮捕される一方、毛沢東は「農業協同化に関する報告」を発
>表して農村の集団化を呼びかけた。
>
>農民を急進的な政治スローガンで駆り立て、農村における社会主義化を一
>気に押し進めようという魂胆だ。
>
>客観情況の如何にかかわらず、毛沢東の恣意的な考えが共産党の大方針と
>なりはじめていた。
>
>ここで些か寄り道をして、興味深い史料を紹介しておきたい。
>
>胡風が批判された直接の要因は、54年に『関于幾年来文芸実践情況的報告
>(数年来の文藝実践情況に関する報告)』(「三十万言書」)を発表し、
>文芸部門における共産党による官僚主義的作風を強烈に批判したことにある。
>
>だが、なぜ胡風が糾弾されなければならないのか。一般人民にとってサッ
>パリ判らなかったに違いない。とはいうものの、共産党政権としては、何
>としてでも一般人民を巻き込んで一大政治運動を展開し、共産党に批判的
>な多くの知識人に恐怖を覚えさせ、共産党批判を封じ込める必要があった
>ということだろう。
>
>いま手許に「堅決粛清胡風集団和一切暗蔵的反革命分子報告大会(胡風集
>団と身を潜めている全ての反革命分子を断固として粛清する報告大会)」
>と銘打たれたチケットの半券(コピー)がある。
>
>そこには、55年6月16日午前9時開始、会場は天津の和平路人民劇場。報告
>者は方起局長と記されている。この種の政治集会入場券(コピー)のなか
>には「後日の検査のため保存のこと」と注記があり、所持者の名前まで書
>かれているものも見受けられる。どうやら、政治集会への参加の有無を当
>局が確実に把握していたようだ。
>
>字を読めるか読めないかといった文化程度の圧倒的多数の人民が、胡風の
>書く内容など解るわけがない。であればこそ批判のしようがない。胡風集
>団やら反革命分子といったところで一般人民にはサッパリ判らない。
>
>日常生活には関係ないことだ。だが、共産党政権にとっては、それでは都
>合が悪い。やはり人民が胡風の反党思想を批判しているという体裁を演出
>する必要があった。であればこそ一般人民への洗脳教育を徹底させるた
>め、この種の官製集会が組織されたということだろう。思想信条が厳しく
>統制されはじめていた。
>
>そんな緊張した時代である。「地味な服装」で「白粉気もな」く、「紅は
>もちろんつけていな」かったとしても、なんら不思議ではないだろう。か
>くて「正式には中国人民保衛世界和平委員会の招待」による一行の中国旅
>行は、羅湖の駅から本格スタートである。
>《QED》
> ◎
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>読者の声 どくしゃのこえ READERS' OPINIONS 読
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
> ♪
>(読者の声1)こんどは、ネパールへ行かれていたのですね。貴誌前号で
>カトマンズ市内の印象を書かれていて、実はわたしも、6月にカトマンズ
>に滞在してあちこち歩き回りました。とてもネパールの人々は親切で、親
>日的で、宮崎正弘さんの紀行文の印象と重なりました。で、マオイストで
>すが、わたしの印象ではすくなくともカトマンズ市内では目立ちませんで
>したが?(UH生、名古屋)
>
>(読者の声2)ネパ−ル取材お疲れ様でした。無事のご帰国に安堵してい
>ます。ネパ−ルも高地だと思うのですが、今回は、高山病は大丈夫でしたか。
> (TK生、佐賀)
>
>
>(宮崎正弘のコメント)カトマンズは標高1300メートル程度の盆地ですか
>ら高山病の心配はまったくありません。ともかく町中全部が埃っぽくてマ
>スクが必要でした。ところでマオイストは都会派と田舎派に分裂し、過激
>派は地下に潜ったようですね。
>
>
>
> ♪
>(読者の声3)無事お帰りの上早速のネパール紀行には先生のいつもなが
>らのエネルギーに感嘆致しております。とくにインドとのバランスを考え
>ての中国との付き合いという考えは、今までのマオイスト跋扈という報道
>に慣れた私には考えも及びませんでした。
>引き続きの紀行を楽しみにしております。(JN生、大手町)
>
>
>
> ♪
>(読者の声4)貴誌前号にでた樋泉教授のコラムについての感想です。
>(引用)「ここでロベール・ギラン(1908年〜98年)だが、フランス人で
>アジア通のジャーナリとして知られ、戦前はゾルゲ事件に関与し、敗戦直
>後の45年8月には連合軍将校に扮して府中刑務所に乗り込み、収監中の日
>本共産党の指導者である徳田球一や志賀義雄を連れ出している。
>
>戦後は日本を拠点に活動し、文革やヴェトナム戦争を報ずる一方、日本批
>判の"ヨタ記事"を書き飛ばしていた。にも拘らず日本政府は勲三等旭日中
>勲章(1994年)を授与。桑原もフランス文学・文化の研究者の看板を掲げ
>ているなら、ロベール・ギランの存在は知っていたはずだが、彼の「共産
>政体が求め、脳髄をまひさせる宣伝活動」という指摘などは無視していた
>のだろう。何度でもいっておく。やはり度し難い痴性だ」。<引用おわり>
>
>以下はフランス人の分析の伝聞です。
>
>ロベール・ギランの反日行動の動機には保身があった。大東亜戦争中日本
>はフランスとは戦争をしていなかった。そこでギランは戦後、戦時中の自
>分の行動がフランス政府から対日協力とみられるのを恐れて、意図的に反
>日の報道をしたのである。(東海子)
>
>
>(宮崎正弘のコメント)ギランも当時、尾崎、ゾルゲの関連で取り調べを
>受けていますが、証拠不十分で逮捕には至らなかった筈です。
>
>
>
> ♪
>(読者の声5)高山正之さんの『マッカーサーは慰安婦がお好き』(新潮
>社)は、以前、貴誌で宮崎さんも書評されていたことを思い出し、書店へ
>走りました。
>
>読み始めたら止まらない。とうとう最後まで読んでしまった、すっきり爽
>やかコカコーラ。やっぱりアメリカが全ての元凶だなぁと思ったのでした。
>
>そこへ前号で宮崎先生の書評(田中英道氏『世界文化遺産から読み説く世
>界史』(育鵬社、発売=扶桑社)にこうあります。
>
>「大事な指摘が付け加えられている。それは『中国は欧米から理解されや
>すかったということもいえるのです。
>
>それは、中国に思考パターンが基本的に実用主義でわかりやすく、政治も
>実力主義、権力主義で単純であるという点が欧米と共通』だからである。
>欧米も中国の日本の万世一系、その平和主義を飲み込めない理由は、かれ
>らの文明がまだ野蛮だからであると示唆される」(引用止め)。
>
>たしかに視点は、違うけれど、高山氏と田中氏の仰っている事は同じで
>は? 高山先生の講演は明日、久し振りに高山節を拝聴して、帰りに田中
>正道先生のご本を買って、知人が先日送ってくださった紅茶を頂きながら
>読んでみようと思います。(FF子、小平)
>
>
>
> ♪
>(読者の声6)「第4回 里見日本文化学研究所学術研究大会」のお知ら
>せです。
>
>【統一テーマ】「皇統」とは何か——「国体」から見た皇位継承 ——「男
>系」「女系」論議を超えて。
>
>これまで本研究大会では、「蘇る里見岸雄—里見国体学の現代的可能
>性」、「里見国体学の諸相」、「国体を巡る諸思想」といったテーマに関
>し議論を重ねて参りました。
>
>4回目となる今回は、我が皇室の安寧を切に願う立場から、意見の相違を
>超えて「皇統」とは何かについて問い直すことで、皇位継承、そして国体
>の本質を捉えようとするものです。皆様の御来聴を心よりお待ち申し上げ
>ます。
> 記
>とき 平成25年10月6日(日)13時開始〔12時30分開場〕
>ところ 靖国神社 靖国会館 偕行の間( 東京都千代田区九段北
>3—1—1)
>資料代 千円
>主催 日本国体学会(180-0014 東京都武蔵野市関前5-21-33)
>TEL 0422(51)4403 FAX 0422(55)7372
>:kokutaigakkai@kokutaigakkai.com
>※どなたでもご来聴頂けますので、直接会場にお越しください。
>プログラム 第1部 基調講演(13:10〜14:30)
>「『万世一系』のための女系継承」
>國學院大學神道文化学部講師・日本文化総合研究所代表 高森明勅
>「日本文化としての皇位継承」
> 関東学院大学文学部教授・『表現者』編集委員代表 富岡幸一郎
>第2部講師とのパネルディスカッション(14:45〜16:00)
> コーディーネーター 里見日本文化学研究所主任研究員・『国体文化』
>編集長金子 宗?
>
>
>
>━━━━━━━━━━━━━━━━
>「GHQ焚書図書開封」読書メモ(1)
>━━━━━━━━━━━━━━━━
>
>
> 平井 修一
>
>西尾幹二著「GHQ焚書図書開
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