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> わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 3055号
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> 2013(平成25)年9月2日(月)
>
>
>
> 誇るべき日本人の「合力」:清湖口 敏
>
> 安倍は来月早々に消費税実施判断へ:杉浦正章
>
> どこへ行くインド経済:宮崎正弘
>
> 11歳少女の朝鮮半島脱出記:伊勢雅臣
>
> 朝日新聞は日本領土の防衛がお嫌い:古森義久
>
> 日本とエジプト(3):平井修一
>
> 話 の 福 袋
> 反 響
> 身 辺 雑 記
>
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>□■■□ ──────────────────────────□■■□
>第3055号
> 発行周期 不定期(原則日曜日発行)
>
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> 御意見・御感想は:
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>誇るべき日本人の「合力」
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>
> 清湖口 敏
>
>7月22日朝のJR南浦和駅(さいたま市)。停車中の電車から降りようと
>した女性が足を踏み外し、電車とホームの間に挟まれた。これを見た車内
>とホームの客約40人が一斉に力を合わせて車両を押し、隙間をつくって
>女性を引き上げた。女性に目立ったけがはなかった。
>
> ◆世界で称賛の声
>
>たまたま現場に居合わせた読売新聞記者の撮った写真がニュースとともに
>海外に伝わり、各国で日本への称賛の声が広がったと、26日付同新聞が報
>じている。「イタリア人だったら眺めるだけだろう」「中国で同様の事故
>が起きれば、大多数の人はやじ馬見物するだけだ」「おそらく、日本だけ
>で起こりうること」「とっさにこのような行動ができる日本人は、どのよ
>うな教育を受けているのか」…。
>
>他人の難儀も見て見ぬふりをする風潮が強いといわれる昨今だけに、日本
>人の道徳心をたたえる声にはうれしくなった。そこでふと「合力」という
>言葉を思い出し、この「合力」の精神こそが日本人を、世界でも傑出した
>道徳的国民にしているのではないかと思ったのである。
>
>「力を合わせる」意の漢字熟語といえば誰もがまず「協力」を思い浮かべ
>るだろうが、わが国には「協力」よりもずっと古く「合力」という言葉が
>存在した。合力は今では物理の授業で「2つ以上の力を合成した力」など
>と習う程度で、小型の辞書もそれくらいの意味しか載せていないが、古典
>の時代にはコウリョクと読ませ、「力を添えて助ける」意を有した。
>
>室町時代初期の『義経記(ぎけいき)』にも「三日がうちに浮き橋を組ん
>で、江戸太郎に合力す」と出てくる。源頼朝が隅田川を渡ろうと江戸太郎
>(重長)に浮き橋を組ませた折、葛西三郎こと葛西清重が合力した、つま
>り助勢したというのである。
>
> ◆施し与える
>
>もっとも、この意味でなら中国でも「合力」は使われているが、わが国で
>はそれ以外に「金品を人に施し与える」という独自の意味もあった。
>
>「私、仕合(しあは)せの合力を請けて、思ひのままの正月を仕(つかま
>つ)る」(西鶴諸国ばなし)。幸運な援助を受けて思い通りの正月を送れ
>る、と訳せよう。飢饉(ききん)や災害に際しては合力金、合力米として
>金品を贈り、困窮者への援助とした。
>
>力を添えて助ける、施し与える−わが国における合力のこの2つの意味
>は、いわば見返りを求めぬ人助けの要諦でもあり、それを実践したのが冒
>頭の救出劇ではなかったか。力を貸した人たちはきっと、女性の無事を見
>届けるや何もなかったかのように現場を後にしたに違いなく、彼らは力を
>貸して、いや与えて、そして去った…。
>
>明治期に大森貝塚を発見した米人モースは、江ノ島で過ごした経験を次の
>ように書き留めている。「人力車夫や漁師達は手助けの手をよろこんで
>『貸す』というよりも、いくらでも『与える』」(東洋文庫『日本その日
>その日』)。近代日本の庶民に合力の精神が広く浸透していたことがうか
>がい知れる。
>
>大正12年の関東大震災でもこの精神は発揮された。例えば東京帝大の学生
>は、大学構内や上野公園に避難した人たちのために食糧を調達したり、随
>所に散乱する糞便(ふんべん)を清掃したりと活躍した。現代のボラン
>ティア活動につながる合力である。
>
>◆災害を越えて生きる
>
>戦後の日本では、個を尊重するあまり他を思うことが忘れられがちとなっ
>たが、それでも先の東日本大震災のとき私は、日本人は決して合力の精神
>を失ってはいないと確信した。窮状のなかでも被災者は礼節と品位を保
>ち、奪い合うことなく分け合い、与え合った。外国人にはこれが奇跡に思
>えたという。
>
>日本人がこのような徳を身につけることができたのも、わが国が災害列島
>だからかもしれない。日本人は自然災害で多くの犠牲を払ってきはした
>が、同時に、災害を乗り越えて生きるために助け合い、与え合う合力の精
>神を養ってもきた。日常的には「相身互い」とか「向こう三軒両隣」、と
>きには「絆」と呼ばれたりもする情義とも相通ずる徳性といえるだろう。
>
>「東京の下町では、となり近所が助け合い、たがいの不足をおぎない合う
>ことも当然だった」。関東大震災の年に生まれた池波正太郎の言葉であ
>る。日本人は合力して生きてきた。
>
>関東大震災の発生からちょうど90年となるきょうの防災の日、あらため
>てその美風を思い起こし、今後ともそれを誇りとしていきたいものであ
>る。(せこぐち さとし)【論説委員】
>
> 産経ニュース[土・日曜日に書く]2013.9.1
>
>
>
>━━━━━━━━━━━━━━━━
>安倍は来月早々に消費税実施判断へ
>━━━━━━━━━━━━━━━━
>
>
> 杉浦 正章
>
>官房参与大敗北で論議終息
>
>政治は全く素人の内閣官房参与の二人が政局絡みの口出しをして大失敗し
>たというのが、政府主催の消費増税ヒヤリングの図式だ。首相・安倍晋三
>もあわよくばと増税回避の突破口を狙ったが、逆効果となった。7割が増
>税賛成だったが数よりも説得力ある増税推進論が展開され、かえって増税
>への地盤固めとなってしまった。
>
>勝負はついた。あとは増税是認に向けて、企業の投資減税や法人税減税な
>ど財務省との"条件闘争"の段階に入り、月末か来月早々には安倍が8%増
>税への最終決断に踏み切るしかない情勢となった。
>
>近ごろの新聞記者は右往左往した去年の解散判断と同じで、全く政治の展
>望が読めなくなったようだ。判断する度胸もないのだろう。60人のヒヤ
>リングを終えた段階の紙面で「首相、消費増税決断へ」と踏み切った新聞
>は1社もない。
>
>それどころか逆に読売が筆者の"友情ある説得"も聞かないで、「10倍返
>しだ」とばかりに社説で「来春の8%は見送るべきだ」とやってしまっ
>た。これもマスコミ界で孤立の様相だ。主筆のナベツネは振り上げた拳を
>どう下ろすのか見物だ。
>
>もともと、有識者なるもののヒヤリングなどは、筆者が「馬鹿馬鹿しい」
>と書いたとおり、無意味なものであった。なぜなら肝心の政治の動向への
>視点が欠けているからだ。消費税という超ど級政策マターは政治が判断す
>べきもので、民間人の意見を聞くような筋合いのものではない。
>
>そもそも消費税法成立の経緯を見れば、首相・野田佳彦が「党より天下国
>家だ」と、勇敢にも民主党の分裂まで巻き起こして3党合意を達成して、
>やっと通過させたものだ。政治家が命がけでやらなければならないほどの
>"政局銘柄"なのであり、ど素人が口を出すようなものでもない。
>
>そのど素人が官邸の首相側近なのだから安倍官邸も度し難い。しょっちゅ
>う薄気味悪いにたにた笑いをしている官房参与の浜田宏一と、一見思考が
>深そうで、しゃべると浅い本田悦朗だ。
>
>必死になって「1%ずつの引き上げ」などという荒唐無稽(むけい)の説
>得をしようとするが、その主張をことごとく直接、間接に論破されたとい
>うのが集中点検会合と称するヒヤリングの実態だ。両参与ともアベノミク
>スの"功労者"だが、もてはやされて舞い上がり、政治の火中のクリまで拾
>えると誤判断したのだ。
>
>"政治音痴"の両者を諭すかのように説明すれば、消費税法案を撤回するに
>は臨時国会で法案を成立させなければ間に合わない。新法案を成立させる
>ためには1からやり直しとなる。1党の分裂を招いた法案を最初からやり
>直すことになるのだ。
>
>やる場合は自民党は正式機関で審議することになるが、筆者の聞く限りに
>おいては幹部で見送りや"なし崩し型引き上げ"に賛成する者はいない。不
>可能だが、たとえ法案をまとめ得たとしても国会審議がある。民主党や連
>立相手の公明党は黙っていない。
>
>前外相・玄葉光一郎は「党分裂までして通したのは日本の将来を見通した
>戦略的判断だった」と述べ、反対だ。元官房長官・町村信孝も1日「あま
>り『内閣官房何とか』という人がたくさんいると、スピーディーな意思決
>定の逆になる」と痛烈に二人を批判。
>
>このところ難癖ばかり付けている公明党代表・山口那津男に至っては、
>「数字も良くなっている状況なので、このチャンスを逃すと『消費税の決
>断いつやるの?今でしょう』と心の中で思っている」と茶化しながらも安
>倍官邸をいさめている。
>
>もちろん自民党執行部も反対だ。自民党副幹事長の中谷元も「機関決定が
>必要だが法案を作れるか、それを国会にかけられるかといえば不可能だ。
>それにとても4月までに間に合わない」とテレビで発言している。
>
>また「消費税を変更すれば1年後には倍返し、2年後には5倍返し、3年
>後には10倍返しになる」と流行語で安倍官邸を脅している。筆者が最初
>から指摘してきたとおり、見送り即政局の局面なのだ。安倍には見送りが
>達成できるほどの調整力も、エネルギーもない。
>
>だいいち秋の臨時国会は何のための国会かと言えば、アベノミクスの仕上
>げのための国会だ。安部自身が唱えた3本の矢のうちの成長戦略が焦点と
>なるのだ。消費税法案などを出せばそれにかかりっきりになって何も手が
>付かなくなる。審議も不毛の論議に終始するだろう。かえってアベノミク
>スつぶしの国会になってしまうのだ。
>
>世界各国はこれを見て「何も出来ない政治の日本に戻った」と判断、中韓
>両国は小躍りするに違いない。従って冒頭述べたように勝負はついたの
>だ。議論は浜田、本田の大敗北で終息へと向かっている。予定通り8%の
>増税が4月から実施となる方向だ。
>
>もっとも安倍は引き下がる以上は財務省の譲歩を勝ち取ろうとするだろ
>う。それは激変緩和策だ。いかに8%へのショックを和らげるかだ。企業
>への投資減税や法人税減税が俎上(そじょう)に登るだろう。場合によっ
>ては所得減税も検討課題だ。また増税で来年度のGDPは4兆円は落ち
>る。これに相当する補正予算も必要不可欠になる。
>
>
>荒唐無稽な8%引き上げ反対論はこうして終息の段階に入った。
>
> (政治評論家)<2013年09月02日>
>
>
>
>
>━━━━━━━━━━
>どこへ行くインド経済
>━━━━━━━━━━
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>◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆
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>「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
> 平成25(2013)年9月2日(月曜日)
> 通巻第4010号 <前日発行>
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>
> どこへいくインド経済、極度の低迷と度し難い迷走
> インドの通貨の変動相場制移行が原因か、深層にはカースト制の弊害
>*********************************
>
>インド経済はいま、1991年の経済危機に匹敵するほど深刻な状況に陥って
>いる。失速しかけていると言って良いだろう。
>
>外資が逃げ出し、通貨が暴落し、株式が下落し、国債は利上げ、経常収支
>の赤字は過去1年間で878億ドル、失業率9・9%。
>
>しかもインドはまもなく外資の利払い時期に直面する。ロールオーバー
>(借り換え)は向こう1年で2500億ドル。インドの外貨準備は2790億ド
>ル、いずれ底を突く可能性がある。
>
>経常収支改善の兆候はみられず、したがってルピーはなお暴落気配であ
>る。中国と異なりインド・ルピーは変動相場制、こういう場合、気分と投
>機に脆弱である上、通貨投機を狙うファンドの投機対象となりやすい。
>
>8月17日、シン首相は官邸に経済閣僚ならびに経済財務金融担当の高官を
>集めて対策を練った。このような緊急事態は91年危機以来のことで、外国
>ファンドは、この事態を目撃してから本格的な逃げの態勢にはいった。
>
>理由は1989年のアジア通貨危機に際してマレーシアが外国資本の国外移動
>を凍結したような強硬措置を怖れたからだ。
>
>加えての難題は2014年5月に行われる総選挙だ。インドは民主主義国家ゆ
>えに、ポピュリズムに訴える政策が必要である。
>
>与党は経済対策の要にある食料補給、つまり貧困層へ低価格での食料配給
>制度を撤廃できない。年間140億ドルがコメ、小麦などの購入に充てら
>れ、倉庫、運送、横流しなど別のコストもかかる。貧困層対策は後手後手
>である。ガソリンへの補助金を打ち切ったが、たちまち与党は猛烈な批判
>に曝された。
>
> ▼しかし日本企業は強気なのだ
>
>ところがインドで業務拡大の日本企業がある。
>
>インドでトヨタは「カムリ」のハイブリッド版の生産を開始した。
>
>ホンダは年間300万台のバイクを600万台に引き上げる計画に加えて、販売
>店を現行160店舗から250店に急拡大を狙い、ラジャスタン州の新工場では
>乗用車24万台を2014年から生産する。
>
>スズキの工場焼き討ち事件以来、すっかり意気消沈してきた日本企業に
>とって久しぶりの快音だ。
>
>強気なのはトヨタ、ホンダばかりか、たとえばイオンは家電、バイクなど
>の割賦市場に打って出て、小売りへの金融事業に乗り出す。これはイオ
>ン・クレジットサービスがムンバイの金融会社と提携し、消費者の家電分
>轄ローンの融資を拡大させ2016年には100億円の市場と見込んでいる。
>
>またみずほコープと日本企業連合はクジャラート州(ムンバイの北方)の
>運河に太陽光発電装置をならべての売電事業を開始する。総工費300億
>円、発電出力目標は20万キロワット。クジャラート州は自動車産業のメッ
>カともいわれ、電力需要が大きいため、強気である。
>
>しかしこれらの日本企業の新事業など、果たしてうまくいくか?
>
>スズキのマネサール工場(ハリヤナ州)で従業員の暴動が起きたのは2012
>年7月。原因はカースト制度のひずみがもたらした。階級の違う者が同じ
>生産ラインで働くことはインドの伝統的習俗、文化的慣習と真っ向から対
>立する。
>
>しかしインドは法律上カーストによる差別を禁じており、日本企業は法律
>を守る立場からカースト差別を助長するシステムを採用しない。
>それが仇となって、進出以来30年、インドで成功したモデルケースとまで
>いわれたスズキが労務管理で躓いたのだ。
>
>いま一つの原因はインドの労働運動の激しさである。
>
>賃上げ、待遇改善をもとめて屡々暴力的争議に発展し、日本ばかりか現代
>自動車など韓国勢もやり玉にあがる。
>
>インド人はビジネスにかけては華僑をしのぐほど、熱意とあくどさ、しつ
>こさを持っていて、世界からは「印僑」と呼ばれて嫌われるのだが、この
>伝統は労働運動にも浸透しているのである。
>
> ▼インドの経済発展を阻害するのはカースト制だ
>
>もろさが連続して露呈した。
>
>インドの株価と通貨が同時に下落をはじめた。主因は米国のQE3(量的
>緩和第三弾)のあと、バーナンキFRB議長が五月の講演で「金融緩和に
>歯止めをかけることもある」と示唆したため、外国ファンド筋が一斉に新
>興国投資から撤退をはじめた。
>
>この悪性の連鎖、連関のなかにインドは身をおかざるを得なかった。ブラ
>ジルから、アルゼンチンから、インドネシアから米国系ファンドが撤退を
>始めた。その流れで多くの欧米ファンドがインドからも撤退を急いだ。
>
>インドの損害保険企業に投資してきたウォーレン・バフェットも早々と撤
>退を表明し、アルセロール・ミタル(世界最大の鉄鋼企業。本籍はルクセ
>ンブルグ)は印度で計画していた製鉄所新設の一部を見送るとした。
>
>ことほど左様にインド経済は海外情勢に大きく作用される。
>
>たとえばインドネシアの国債を外国勢は30%保有し、マレーシアは45%
>(日本はちなみに5%以下)、ついでに株式投資のポートフォリオを減ら
>せばインドの株価はがくんと下落し、それは通貨暴落へとつながる可能性
>がきわめて高くなるだろう。
>
>
>▼庶民はインド・ルピーの貯蓄より金(ゴールド)買いに走る
>
>インドの株価は年初来21・4%も下落し、通貨は13%の下落をしめした
>(数字は英誌エコノミスト、13年8月24日号)。
>
>慌てたインド政府は通信、石油制裁、防衛産業などへの海外からの投資規
>制を緩和する方向にある。しかし雇用700万人を誇る民間警備分野は武器
>の問題など複雑な難問を抱えており、外貨規制がすんなり緩和されるとは
>思えない。
>
>米国議会は「IT産業のアウトソーシングをインドに集中して発注してい
>る現実は、米国国内の雇用を奪っている」と警告し、法律の規制を検討し
>ている。インドは強く反発している。
>
>それでなくとも、欧米ならびにアラブ資本がインドから撤退しており、輸
>出不振と投資不足によってルピーがさらなる暴落の危険性がある。
>
>他方、庶民は自国通貨を信任せずに金購入を続けている。インドの12年度
>の金輸入はGDPの3%と見られ、とくに密輸による金が大量にインドに
>流入している。
>
>こうしたインドと中国の猛烈なゴールド買いによって金相場は低迷ゾーン
>を抜け出し、またまた1オンス=1400ドル台を回復した(8月30日)。
>
>「さるにてもおそるべきインドだった」と三島由紀夫は『暁の寺』に書いた。
> ◇
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
> ◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ■ BOOKREVIEW
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>
> ドイツ人には何故サービス精神が希薄なのか?
> やっぱり住んでみると日本が一番の安心感はなぜ?
>
> ♪
>川口マーン恵美『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』(講談社α文庫)
>@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
>
>真吾十番勝負という時代小説があった。テレビドラマにもなった。
>
>しかし日本での普遍的な比喩では相撲の星取り表のように「12勝3敗」と
>かの言い方になるが、本書はやっぱり十番勝負。十の試合にわけて、日本
>とドイツをカテゴリィ別に競いあう文化競争の本かと思って手にしたら、
>まったく趣きが異なり、最初は川口さんが尖閣諸島へ乗り込んでの記録か
>ら始まる。
>
>原発報道にみられたようにドイツの日本報道はひどいものだが、ウィキペ
>ディアのドイツ語版をしらべて川口さんは驚いてしまった。
>
>尖閣諸島は中国領と印象づける記述があり、あれを読めばドイツ人は誰も
>が、日本が侵略して奪ったという印象を抱いているという。
>
>「こんな状態だが、危機感を持っている日本人はあまりにも少ない。戦
>後、国防をアメリカ任せにしてきたツケなのか。危機感どころか、興味も
>薄い。佐渡島がなくなってからようやく気がついたのでは遅いのだ」
>と警告を忘れない。
>
>この文脈からフランスとドイツの国境アルザスの悲劇を比較に用いる。国
>語を奪われた最後の授業の物語は、日本人の教科書にも出た。
>
>「確かなことは、領土問題というのは実効支配をした者が勝つということ
>だ。そして、実効支配にはそれを裏付ける軍事力が必要だということ。こ
>れだけは、いろいろな歴史が証明している」と正論がつづくのである。
>
>ドイツのサービス産業は、日本からみたら信じられないほど劣悪である。
>この点は中国とそっくりかも知れない。電車が遅れてもアナウンスがな
>い、駅員に聞いても「それは担当ではない」。郵便局で並んでいても、時
>間がくればパシャンと窓口を閉める。
>
>川口さんの娘さんは、いま東京のとある病院でインターンをしている。ド
>イツでは卒業まえに外国で訓練しないと卒業できない仕組みだからだ。そ
>して、娘さんが驚きとともに言った。
>
>「日本の看護師さんは患者の髪が汚いと、2回も3回も洗ってあげる。ド
>イツ人は汚い状態であろうがなかろうが、1回でおしまい。なんであんな
>ことするの?」
>
>「看護師の職業意識は日本のほうが圧倒的に高いらしい」「どの患者にも
>親切で、敬意ある態度を崩さない」。
>
>しかしドイツの看護師とは言えば、「肥った患者さんに手こずったりする
>と、皆、不機嫌になるし、終わって病室のドアを閉めたあと、『マイゴッ
>ド! あのデブ!』ぐらいは言うわよ」(この部分は川口さんの『エルネ
>オス』の連載から引用)。
>
>さもありなん、だから駄目なドイツってわけだ。さらりと読めて、じつに
>面白かった。
>
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
> ◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ■ BOOKREVIEW
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
> ♪
>寺井義守著、佐藤守校訂『ある駐米海軍武官の回想』(青林堂)
>@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
>
>軍人として奇跡の人生を歩んだ海軍大将がいた。寺井義守は石川県に生ま
>れ、海軍兵学校、海軍大学卒業後、鹿屋航空隊飛行長。そして開戦時、ワ
>シントン日本大使館の駐在武官だった。開戦と同時に日本大使館スタッフ
>はリゾートホテルに移動させられ、しばし荏苒と時を過ごしたあと交換船
>で帰国した。
>
>戦争中は中佐。戦後は海上自衛隊に復帰し、佐世保地方総監、鹿屋航空隊
>司令を経て幹部学校長。海将。
>
>あの大東亜戦争開戦時にワシントンの大使館に駐在海軍武官として駐在し
>ていた貴重な歴史的証言が本書の肯綮である。
>
>とくに開戦ともなると、日本大使館の「館外は米国人の野次馬、警察官が
>構外を警戒する」が、館員らが自宅から大使館に移動して集団生活とな
>り、やがてヴィージニア州ホットスプリングに移動する。
>
>そこは『保養地』でテニスコートもあったという。「2月11日には、シン
>ガポール陥落の報道があり、同胞全てが喜び合って翌日の紀元節を盛大に
>祝った」ほど、米国の抑留生活には余裕があり、また大使館員は特別待遇
>をアメリカでも受けていたことが分かる。
>
>これまで伝えられなかった一級資料である。
>
>戦争がおわって12年後、すなわち昭和32年、アメリカ出張の機会に恵まれ
>た筆者は旧敵のドン、ターナー将軍とニミッツ提督に会った。そのときの
>会見印象記が併載されているが、意外なことがおこるものと感心しながら
>読んだ。軍人として数奇の運命を歩んだ海将の記録である。
>
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
> 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
> ♪
> 樋泉克夫のコラム
> @@@@@@@@
>
>【知道中国 959】
> ——「それにしても我々日本人はあまりに中国を知らなすぎた」(安
>部の上)
>「新中国見聞記」(安部能成 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
>
>
> ▽
>昭和3年秋に北京を訪れた安部は「支那人の個人としての生活力の強さ、
>その弾力の豊富さは、支那人をして圧さえればひっこみ弛めれば膨れしめ
>る。支那人はこの点に於いて無気味な不死身の性を持って居る。
>
>けれどもこれは同時に強い力の前にはちぢみ上がり、相手が弱いと見れば
>むやみにのさばるという厭うべき性質ともなって現われるであろう。何と
>いっても国土が広く、資源が豊かで、人間の生活力が強い支那の前途は実
>に我々の前に置かれた興味ある謎でなければならない」(「瞥見の支
>那」)と記した。
>
>安部は貴族院勅撰議員、旧制第一高等学校校長(1940〜46年)、文部大臣
>(46年)、学習院院長(48~66年)を歴任。戦後は岩波書店を拠点に平和
>問題懇話会を主宰し、現在に続くガラパゴス化した総合雑誌『世界』の創
>刊当時の代表責任者を務めている。
>
>一方、48年には白樺派や漱石・鴎外・西田幾多郎門下を糾合し、占領下で
>呻吟する日本文化を防衛すべく雑誌『心』(~81年)を創刊するなど、リ
>ベラル保守派の象徴的存在だった。
>
>そんな安部ゆえに中国は狙いを定めたに違いない。かくて昭和3年の北京
>旅行から26年が過ぎた昭和29(1954)年、「日中友好協会と通じて
>の・・・国慶節招待」となった。
>
>安部は「新中国に対して・・・耳学問も読書知識もなかった」が、「新中
>国を見てきた少数の人々」から「中国の面目一新と中国官民の緊張ぶりを
>伝える声は聞いた」うえに、「その中の一人の若い心理学者は、『大内
>(兵衛)さんよりも安倍さんがいって見て来るがいい』ともいった」そうだ。
>
>そこで安部は「これは新中国が、より進歩的な大内君よりもより保守的な
>私を教訓する所が、より多いと考えたからであろう」と考え、この招待に
>応じる。大内も招待者名簿に名を連ねていたが、なぜか訪中していない。
>「教訓」の2文字が象徴的だ。
>
>「より保守的な私を教訓する所が、より多い」と記すからには、安部は中
>国側の意図を承知したうえで訪中したのだろう。
>
>「私はこれ(国慶節招待旅行)によって新中国の存在と動向を深刻に、又
>今までよりは遥かに具体的に全体的に印象し得たことを喜びとして居る」
>と綴っているところをみると、中国側の狙い——安部が戦前に抱いた中国認
>識を棄てさせ、安部をテコにリベラル保守派に親中感情を植えつける——
>は、ドンピシャだったようだ。
>
>出発前、「私は先入見も予備知識も持たずに、無理にも虚心坦懐で新中国
>を見て来ようと決心せざるを得なかった」。
>
>だが戦前の中国旅行で冒頭に掲げたような認識をえている以上、「中国に
>対して何等の先入見を持って居なかった」わけではないはじだ。だが「で
>きるだけひねくれず、裏面を窺おうとする興味に執われず、又周囲の感激
>や感傷に引きずられず、自分が見たことを見たとして、聞いたことを聞い
>たこととして、又疑いを疑いとして伝えたいと思」いながら旅立つことに
>なる。
>
>安部は「新中国を見るにつけても、私が中国の革命史、ソ連と中国との関
>係、中国から手を引く前の中国と米国との関係及び交渉、太平洋戦争中及
>び戦後今日に至るまでの、日本を中心とする国際的外交関係についての知
>識の欠無を著しく感じた」うえで、「今や新中国に対する日本国民の感情
>は、傾向というよりもむしろ傾倒といった方がよいという状態である。左
>翼の連中がそうなるのは当たり前だが、この傾向にはそれ以上の国民的感
>情があるらしく思う」と、当時の日本人の中国に対する素朴な感情を忖度
>してみせた。
>
>昭和27(1952年)、日本は中国大陸での戦争状態に終止符を打つべく、台
>湾に逃れた?介石率いる国民政府との間で日華平和条約を締結する一方、
>新中国、つまり中華人民共和国を国家として認めない姿勢を打ち出した。
>そのことを指し、安部は日本人の素朴な心持として「台湾を相手にするだ
>けでは充たされないのではないか」と記すのであった。
>《QED》
>
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>
>【知道中国 960】
> ——「それにしても我々日本人はあまりに中国を知らなすぎた」(安部
>の中)
>「新中国見聞記」(安部能成 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
>
>
> ▽
>安部は「日本は散々中国をいじめてきたにも拘らず、日本人は中国なしで
>は生きてゆけない。戦争後十年間中国と離れて生きて来たということに、
>日本人は利害の上ばかりでなく心にさびしさを覚えて居るのではないか」
>とした後、だから日本人の「心持」として「台湾を相手にするだけでは充
>たされないのではないか」と記す。
>
>安倍の記す「台湾」は半世紀に亘って日本が領有し社会経済開発と民生の
>向上に努めた台湾ではなく、国共内戦に敗れ台湾海峡を渡った?介石政権
>が最後の砦とした台湾であり、内外に向けて「自由中国」を僭称・喧伝し
>た中華民国を指しているはずだ。
>
>ここで蛇足気味だが、安倍をして「台湾を相手にするだけ」となった日華
>平和条約(中国語原文で「中日和平条約」)が結ばれた昭和27(1952)年
>前後の情況を振り返っておく。
>
>日本が「中共」と、アメリカが「コミュニスト・チャイナ」と呼んだ中華
>人民共和国が誕生したのが昭和24(1949)年10月。一方、中国大陸に居場
>所を失った?介石率いる国民政府は台湾に渡り台北を臨時首都として中華
>民国維持を画策したものの、ワシントンが蒋介石政権に対し強い不信感を
>表明したことで、?介石政権は進退に窮した。
>
>だが昭和25(1950)年6月に朝鮮戦争が勃発し、アメリカが強硬な反共政
>策を掲げコミュニスト・チャイナ封じ込め政策に転じたことから、?介石
>政権は念願の「大陸反抗」も夢ではないとの強気の姿勢に転じた。大陸に
>攻め入って共産党政権を打倒し、改めて中華民国による全土統一を図ろう
>というのだ。
>
>昭和26(1951)年9月、対日参戦55ヶ国中、中華民国、インド、ビルマ、
>ユーゴスラビアを除く51ヶ国との間で日本は講和条約を結ぶ。もちろん戦
>争時、地上に存在しなかった中華人民共和国が対日講和を論議する会議に
>参加しているわけがない。
>
>安部らが集った平和問題懇話会は、確かアメリカを中核とする西側の国々
>との現実的な講和を「片面講和」と否定的表現で呼ぶ一方、ソ連など東側
>も参加した形を「全面講和」と喧伝し、片面講和否定の論陣を張ったはずだ。
>当時の日本を取巻く内外情勢から判断して全面講和は余りにも非現実的
>だったことはいうまでもない。日本は復興への後ろ盾としてアメリカを選
>んだ。
>
>だが当時の吉田首相は、講和条約締結直後の10月末の国会で、「求められ
>れば上海に中共との通商事務所の設置も可」「日本は講和の相手を選択す
>る権利を持つ」と、中華人民共和国に対する柔軟姿勢をみせる。
>
>その直後、特使として来日したダレス国務長官との会談を機に、吉田政権
>は中華民国との講和条約締結へと踏み出していった。
>
>日華平和条約会議(中国語で「中日和会」)の結果、昭和27(1952)年4
>月、「日本国と中華民国との間の戦争状態は、この条約が効力を生ずる日
>に終了する」を第一条とする日華平和条約が台北で署名されているが、こ
>こで問題になるのが中華民国の「範囲」だろう。
>
>日本側は交換公文で「中華民国政府の支配下に現にあり、又は今後入るす
>べての領域」と表明し、中華民国側は同意議事録に「(日本側が主張す
>る)『又は今後入る』という表現は『及び今後入る』という意味」に解
>し、これに日本側は「中華民国政府の支配下にあるすべての領域に適用が
>あることを確信する」と応じている。
>
>交渉当事者双方が蒋介石による「大陸反攻」を信じていたか否かは不明だ
>が、日華平和条約が「大陸反攻」の将来に含みを持たせていたことは想像
>できる。
>
>ちなみに蒋介石は「多額の賠償を取り立てることは、戦後の日本の生命を
>奪」い、「赤色帝国主義が日本を狙っている」現状からして、「日本が強
>力な反共国家であってくれなくてはならない」との理由を挙げ賠償を放棄
>している(『?介石秘録(下)』改訂特装版 サンケイ新聞社)
>——以上が、「台湾を相手にするだけでは充たされない」「心持」の背後の
>内外情勢であった。
>《QED》
>
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
> 読者の声 どくしゃのこえ READERS' OPINIONS 読
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>♪
>(読者の声1)ロスアンジェルス並びに近郊の読者の皆さん!
> 国際政治学者・藤井厳喜氏が、ダウンタウン(小東京)とガーデナ市
>で、LA講演を行います。
>タイトルは「 戦後68年、ニッポンの今を考える。尖閣諸島、慰安婦問題
>などもとりあげる。主催はL.A・日本をよみがえらせる会。
>
> 記
>
>日時: 9月14日(土) 午後2時開場、2時半開演
>場所:ニュー・ガーデナ・ホテル (New Gardena Hotel)
>
>日時:9月15日(日) 午後2時開場、2時半開演
>場所:JACCC 日米文化会館504号室
>入場料: 20ドル(ドネーション)
>
>問い合わせ・予約 323-259-0486
>yumemakuraclub@yahoo.co.jp
>案内HP:http://www.bridgeusa.com/Community/?ID=1287
>
>
>(宮崎正弘のコメント)いよい
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